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文明の故郷・中東 ―中東イスラームの歴史と現在 (2)

岩木 秀樹 (2004年3月25日 17時35分)

中東イスラームの地域社会は都市民と農民と遊牧民が相互に密接な関係を保ちながら作りあげてきた有機的な複合社会である。しかもこれらの関係は決して固定的なものではなく、異民族の侵入と定住、農民たちの都市への移住、遠距離交易に従事する商人の旅やメッカ巡礼の旅、さらには遠隔の都市をめぐる学問の旅などを通じて、常に新しい人間関係や社会秩序が作り出されてきたのである。(1)このように多様で可変的でダイナミックな中東イスラームは古代オリエント・ギリシア・ローマ文明の継承者でもある。現在の西洋のみがこれらの文明の継承者ではないのである。むしろイスラーム文明が東西に分裂していた西アジア世界を統合したという側面もある。まず始めに、このような中東イスラームを古代までさかのぼり概観していく。

人類はその99%の時期を狩猟採集に頼った生活を強いられてきた。狩猟採集から食料生産への移行は、人類史の中でも重要な転換点であった。中東では今から約一万年前に小麦・大麦などの栽培化と牛・山羊・羊などの家畜化によって、食料革命が達成された。(2)この当時地球上には数百万人規模の人間しかいなかったが、この地域にはかなりまとまって人々は暮らしていたのである。

約6000年前から灌漑・集約農業がメソポタミアやエジプトで始まった。それまでの粗放農業では最大で種をまいた量の10倍の収穫だったが、数十倍の収穫が得られるようになった。当時、日本は縄文時代であったのに対し、中東では麦と乳を基本とする農牧業が灌漑を伴う集約的な形でなされて、人口は爆発した。世界の人口の過半がメソポタミアとエジプトに集中していたと考えられており、文字通り「肥沃な三日月地帯」であった。

約5000年前には、都市を中核とした国家が成立した。人間同士の円滑なコミュニケーション、都市や国家の維持、また都市間、国家間、より遠距離との交易のために文字、暦、計算方法、天文観測などが発明された。(3)この文明は古代オリエント文明と呼ばれるが、その最大の特徴は、都市という社会生活の場を生み出したことにあり、都市文明と呼ぶことが出来る。都市文明の指標として、政治組織と階級制度の発生、社会に不可欠の要素としての交易の発達と規模の拡大、拡大複雑化した社会を維持運営するための官僚、軍人、商人、職人などの非農業的職業専従者の出現、彼らの居住空間としての都市の存在、文字の使用や冶金術、交通手段の発達などがあげられる。(4)

都市とは単に人間が多数、緻密に住んでいることだけを意味しているのではない。それは、そこにたえず外部から人、もの、情報が集まり、またそこからたえずそれらが出ていく場なのである。異質な人々、多様なもの、各種の情報が交差しあう中から、文明が生まれた。中東は都市とともに、文明を世界で最初につくりだした地域なのであった。

5000年前の中東は、すでに商品経済の世界であった。金・銀に裏付けされ、個人の信用に媒介された商取引・商契約が、社会を成り立たせる基本であった。中東は、個人の資格で他者と契約する、自立した人々よりなる社会であったのである。アルプス以北のヨーロッパでこのような社会が実現するのは、19世紀になってからである。中東はヨーロッパの近代を約5000年前から先取りしていたとも考えられる。この個人の資格で他者と契約するという考えは、後のセム的一神教であるユダヤ教・キリスト教・イスラームに大きく影響を与えるのである。(5)さらにこの地域で生まれたフェニキア文字は現在世界で使用されている漢字系以外の文字のルーツであり、この地で生まれたセム的一神教と合わせて、現在の世界に大きな影響を及ぼしているのである。

紀元前17世紀にはアナトリアにインド・ヨーロッパ系のヒッタイトが台頭した。ヒッタイト躍進の最大の要因は、鉄器と馬の利用であり、これは前2000年紀最大の変化であった。前1200年頃ヒッタイトは崩壊したが、それにより国家機密であった製鉄技術が周辺地域に広がり、オリエントは鉄器時代をむかえる。それ以前の文明を特徴づけていた青銅器が、主に権力や祭儀のための特殊な用具にとどまっていたのに対し、鉄器は一層普遍的な性格を有していた。鉄器は支配階級に利用されたのみならず、庶民の道具としても利用された。その結果手工業や鉱山業の発達、耕耘技術と灌漑技術の発達など生産面における著しい発展をうながした。だが鉄は生産の道具であると同時に破壊の利器でもあった。鉄器の利用は軍事技術の改良をもたらし、大規模な遠征を可能にし、戦争はより激烈になったのである。(6)

紀元前一千年紀には、アッシリア帝国、新バビロニア、アケメネス朝ペルシアなどの帝国が成立し、オリエントが政治的に結合されるにいたった。この政治的結合体が東において別の文明を形成していたインドと直接境界を接し、地中海を挟んでギリシア世界と全面的に接触を開始したのである。(7)

このように政治的統合が進む中で、コスモポリタンの精神が広がり、宗教的統合が進み、一神教の基盤も作られてきた。これまでは、神々は人間のさまざまな集団を代表していたのであった。つまり国家には国家を代表する神がおり、都市には都市の守護神がおり、パン屋の組合のような職業別組織にはそれぞれの神がおり、家族や部族のような血縁集団にもそれぞれ神がいたのである。

しかし政治統合が進み、広範囲の交流が進むにつれ、広域交易圏を組織する商人集団の神々は、広い地域の人々の信仰を得るようになった。そこでしだいに一つの地域や国家にしばられない、広い地域に通用する神々が誕生した。さらにギリシア人の帝国の共通財産で、ギリシア語と並んでもう一つ大きな意義を持ったコスモポリタンとも呼ぶべき精神が大きな影響を与えた。コスモポリタンの精神は、一つの神が機能する範囲を理念的には全人類にまで広げたのである。特定の範囲の人の神ではなく、普遍的な神の誕生である。(8)ここにユダヤ教・キリスト教・イスラームのセム的一神教誕生の基盤が作られたことになる。人類史における一神教革命である。食料革命、都市革命、鉄器革命を経て、中東イスラームはここに一神教革命をむかえるのであった。

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はじめに ―中東イスラームの歴史と現在 (1)

岩木 秀樹 (2004年3月19日 16時02分)

現在、中東イスラームは戦火に包まれている。

なぜこのようなことになったのか。原因はどこにあるのか。今後どうなるのか。私たちはどうすべきなのか。世界中の人々が重大な関心を持っている。

中東地域において、いつの時代でも常に戦争があったわけではない。「ユダヤ・キリスト・イスラーム数千年の対立」は虚構である。共存の歴史がなぜ、現在のような状態になったのか。歴史を考察することにより、戦争の原因を考え、また共存形態を学び、今後の平和構築に貢献していきたい。

中東概念は西欧からつけられたものであるが、あえて使うことにより、そのオリエンタリズム性と中東諸国体制の人為性を浮き彫りにしていきたい。また当該地域の人々が中東概念を受容する葛藤もより鮮明にできるだろう。

また当然のことながら、中東=イスラームではない。中東地域にはイスラーム以外にも多数の宗教教団が存在している。西欧ではるか昔に異端とされたキリスト教諸派が現在でも存続している。このことは、そのような教団をある程度認め、共存しあっていたからであろう。中東地域が宗教の博物館といわれる所以である。また国家単位でみれば世界で最も多くのムスリムが生活しているのは中東地域外のインドネシアである。このような理由から中東とイスラームを単純に結び付けるのは危険である。また中東に生じている様々の問題をすべてイスラームに還元するのも間違っている。

にもかかわらず中東イスラーム概念を使用するのは、地域概念である中東と宗教概念であるイスラームを結び付けることにより、複合的で多元的に問題に接近できるからである。また宗教と政治・経済・生活を分離して考えないイスラーム的観点から歴史と現在を明らかにし、さらには近代西欧的観点を相対化できるであろうと考えたからである。

今後は、文明の故郷・中東、第3の一神教・イスラーム、イスラームとは何か、イスラム帝国の歴史、オスマン帝国の共存形態、中東諸国体制の成立、現在の中東イスラーム、今後の課題などを論じていく。中東イスラームの歴史と現在の状況を学びながら、今後の世界の平和と私たちの未来を展望していきたい。

目次

  1. はじめに
  2. 文明の故郷・中東
  3. ユダヤ教とキリスト教の誕生
  4. 第三の一神教イスラームの誕生前史

有事法制を考える

岩木 秀樹 (2003年5月14日 16時56分)

現在、有事関連三法案(武力攻撃事態法案、自衛隊法改正案、安全保障会議設置法改正案)が衆議院を通過しようとしている。多少の修正はあったが、根本的問題は解決されていない。

有事とは戦時であり、有事法制の整備とは戦争のできる国作りのことである。戦時体制下において、国民の安全・自由を守るものではなく、むしろ制限し、自衛隊と米軍を円滑に運用し、戦いやすい状況を作り出すものである。日本国憲法における武力行使の放棄や平和主義に反するのはもちろんのこと、基本的人権の尊重や国民主権にも大きな制約を加えるものである。

そもそも有事法制が本当に必要なのかを問わなくてはならない。日本が武力攻撃を受けるような事態は、外交の失敗を意味し、あってはならないことである。「有事法制を整えておくことは法治国家として当然のことだ」との議論があるが、それではなぜ今までほっておいたのか。当然の義務を怠った政治の責任は重く、今になってその論法を振りかざすのは自己欺瞞に満ちている。「冷戦崩壊後はテロの多発などで状況が変わった」という言い方もされるが、いつの時代でも脅威は喧伝されていたのであり、状況は関係ないのである。

さらに今回の法案は冷戦崩壊後の状況に対応しておらず、時代錯誤ですらある。陣地を築いて防御するということは地上戦を戦うということであり、これがどのようなことを意味しているのかは、沖縄での地上戦の犠牲を見れば明らかであろう。日本は人口密度が高く、資源に乏しく、多くの原子炉を抱える国である。到底戦争を前提にしては存在できる国ではない。戦争になると、死体の埋葬が間に合わないので、墓地以外でも埋めたり火葬できるようにするこの法案は地獄の法律であり、そのような状態はすでに破滅的であり、絶対に起こしてはならない。大量の人が亡くなった後に、どうやってまたどこで焼くかを規定する法案は、悲惨を通り越して、ブラック・ユーモアになってしまう。このようなことを前提に考えるのが、武と軍の論理である。

「有事法制は自衛隊が勝手に行動することを防ぐためのものである」との主張は、つまり現行の自衛隊法では自衛隊は何をするか解らないということである。そのようなシビリアンコントロールされていない軍隊は即刻無くすべきである。

有事法制が軍の超法規的行動を防ぐということも疑問である。有事法制が整備された戦前の日本の行きついた先は、焼け野原と多大な民衆の犠牲であった。現在でも強力な有事法制をもつ国が民主的である例は少ない。個人や企業、地方公共団体の権利や自由を奪うのがこの法案である。軍隊に超法規的行動をとらせないために、国民に対して超法規的措置を強要するのは矛盾もはなはだしい。

「公共の福祉のために、自由は制限される」との議論はすり替えである。「戦争は公共の福祉であり、従って自由や権利は制限され、戦争協力の義務を押しつけ、逆らえば投獄される。」この論理は真に国民の生命と財産を守るものではない。武力行使を放棄した日本国憲法において、公共の福祉のなかには戦争は当然含まれていない。

「もし敵が攻めてきたら」との言説そのものが、自己中心的発想である。日本が攻めてくると想定しているのは、アジアの諸国である。しかしかつて日本はそこを侵略したのである。むしろアジア諸国の方が、日本がアメリカと協力して再び介入してくるのではないかと危惧するのは当然であろう。冷戦崩壊後の日本では、周辺事態法、新ガイドライン関連法、テロ対策特措法等が作られ、戦時体制の整備が進められてきた。さらに歴史認識問題、靖国公式参拝、国旗国歌法など国家主義的傾向が強まっている。アジア諸国が日本に対して不信感を抱くのもうなずける。

さらに政府答弁ですら、外国軍が日本に対して侵略することは想定できないとしている。不審船は海上保安庁が行う国境警備問題であり、拉致は外務省と警察が対応すべきであり、「テロ」は警察が行うべき治安維持の問題である。このような問題と軍事組織が対応すべき有事とを混同すべきではない。

未だに「戸締まり論」や「もし誰々が攻めてきたら」ということが言われるが、多くは具体的な状況判断を前提としていない空論が多い。そもそも家庭における戸締まりとのアナロジーは、国家におけるパスポートコントロールや税関である。家庭において外敵からの攻撃を防ぐためにピストルや刀を日本ではもたないのと同様に、国家においても対外的に友好関係を築いていけば、過度な武力は不必要である。

「備えあれば憂いなし」との陳腐なスローガンは、暴力を基準にした考えである。備えが充実していれば安全であるとは言えない。世界第一の軍事力を持ったアメリカでさえ、9・11事件において経済と軍事のシンボルが破壊され、多くの人が亡くなったのである。合理的な理由もなく軍事的な備えをすれば、むしろ周辺の警戒や不信が高まり、憂いを招くこともある。憂いを招かないためには、軍事的備えではなく、様々な平和的備えが必要である。

今回の有事法制は対米支援のための基盤整備でもある。これができれば、米国の単独主義的な先制攻撃に日本も巻き込まれ、自衛隊だけでなく自治体や企業、国民も総動員される。まさに自衛隊と米軍に超法規的特権を与えるとともに、米国の戦争に協力させるために国民の権利を制限し、罰則つきで戦争協力を強制するものである。さらに自衛隊の海外での武力行使を合法化し、集団的自衛権まで踏み込むものである。

このように多くの点で問題のある有事法制は、大多数の国民が納得できるものとはなっていない。国家の根幹にかかわる安全保障問題であり、憲法にも抵触することが明らかであるので、今回の有事関連三法案は廃案もしくは凍結をし、さらなる国民的な論議が必要であろう。

米英の対イラク攻撃に反対する

岩木 秀樹 (2003年3月23日 17時10分)

米英の対イラク攻撃は、国連憲章第7章違反である。国連憲章が認める武力行使は、①武力攻撃が発生した場合、安保理が必要な措置をとるまでの間、国家に認 められる個別的または集団的な自衛権の行使と②平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為に対する集団的措置として安保理が決定する行動の二つだけであ る。①について、自衛権の発動の要件であるイラクによる武力攻撃は発生しておらず、ましてや先制的自衛権の法原則は存在しない。②についても、安保理は決 定していない。安保理決議1441は武力行使に同意を与えたものではない。だからこそ米英は武力行使の新決議を求めていたのである。また現在の主権国家体 制では、内政干渉、国家指導者のすげ替え、国家転覆は国際法上できないのである。どのような国際法的観点から見ても、今回の英米のイラク侵略は、許される ものではない。

国連決議を履行していないと言われているイラクに対して、国連決議なしの米英による攻撃は説得力がない。「まず、イラクに非がある」との説明もある一面 しか見ていないためにするための議論である。法を犯したものに対しては何をやってもよいのか。相手に非があれば脱法行為、人殺し、侵略をしてもよいのか。 イラク侵略は、人類が営々と築いてきた非戦の誓いを破る、文明から野蛮の世界への退行である。

そもそもイラクには本当に差し迫った重大な脅威が存在するのだろうか。1998年までに大量破壊兵器の90から95%は検証可能な形で廃棄されたと元国 連兵器査察官であるスコット・リッターは指摘している。さらにリッターは、炭そ菌問題について、イラクが製造した炭そ菌は貯蔵寿命3年の液体炭そであり、 ブリクス委員長はイラクの工場から出荷された最後の炭そ菌が1991年産であることに言及していないと非難する(『世界』2003年4月号76頁)。その ブリクス委員長ですらあと数ヶ月の査察延長を要求し、次第にイラクも譲歩してきた矢先のイラク攻撃であった。

非民主的で、非人道的で、大量破壊兵器をもち、国際法を遵守していないのはイラクだけではない。なぜ今イラクなのか。最も恐れることは、米国が今後、恣意的に「新しい脅威」をでっち上げ、全世界に今回の事例を適用することである。
今回のような攻撃はテロにさらなる口実や正当性を与えてしまう危険性がある。米国及びその同盟国は新たなテロの恐怖にさらされるだろう。

9・11事件以後米国はイラクに関して、アルカイーダとの関係、テロ支援国家、大量破壊兵器廃棄、国家転覆と次々に政策をずらしていった。確たる証拠がな いのでずらさざるをえなかったのである。米国の対中東政策はあまりにも場当たり的で、長期的ビジョンにかけている。敵の敵は味方とばかり、以前はアフガニ スタンやイラクを軍事的にも大きく支援していた。湾岸戦争後ですら、イラクがクルド人やシーア派に攻撃を加えているのを米国は座視していた。フセイン体制 存続によるサウジアラビアでの米軍の長期駐留が目的であったとも言われている。

そもそも現在の不安定な中東諸国体制は、第一次大戦後に欧米によって作り出されたものである。ヨーロッパにおけるユダヤ問題を、中東に転嫁してパレスチ ナ問題が発生した。冷戦崩壊後、湾岸、旧ユーゴスラヴィア、チェチェン、パレスチナ等で戦禍が続いている。イスラム教徒には、欧米を中心とした大国によっ て虐殺をされ続けているという意識がある。現在の中東諸国の権威主義体制、石油利権、米国等の大国の三者は、共犯関係にあり、当該地域の民衆を苦しめてい る。

冷戦後のアメリカは狭隘な単独主義に陥っている。コソボでもイラクでも安保理決議なしに戦争をし、包括的核実験禁止条約、弾道弾迎撃ミサイル制限条約、 生物兵器禁止条約、国際刑事裁判所設立条約、温暖化防止に関する京都議定書等の様々な機構から米国は脱退した。国際社会を無視し、圧倒的な大量破壊兵器を 有した、選挙民の多数の支持を得ていない、つまり民主的な手続きに疑問のある米国の政権こそ重大な脅威をもった国であろう。

米国内で、「新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト PNAC(Project for New American Century)」が1997年より活動を開始した。これは軍事予算を3割カットしたクリントン政権に不満を抱く、共和党タカ派、民主党ネオ・コンサバ ティブ派、軍産複合体関係者らによって作られたものである。これには、チェイニー副大統領、ラムズフェルト国防長官、ウォルフォヴィッツ国防副長官、ボル トン国務次官、アミテージ国務副長官、エイブラムス国家安全保障会議中東政策責任者らが中心人物として名を連ねている。彼らの主張は2000年9月の報告 書に集約されるが、その中身は「軍事力を背景に市場経済と人権と民主主義という価値を世界に定着させる」というアメリカ至上主義に特徴づけられる(『世 界』2003年4月号68頁)。

日本は今回、アジアで孤立した。「日本には北朝鮮問題があるから、米国に同調すべきだ」という論調もあったが、むしろ北朝鮮問題があるからこそ平和裏に 物事を解決する必要があった。このままでは逆に危険な方向にいってしまう。米国の圧力にもかかわらず、日朝交渉を進めるべきであろう。そもそも北朝鮮問題 があってもなくても、米国に同調せざるをえない日米安保体制の弊害が露呈してきたということであろう。軍事面での米国追従では日本の国益に合わない状況に なってきた。日米も含めた包括的なアジア地域での人間の安全保障が待たれる。

今回の米英によるイラク攻撃に対して、全世界で大きな反戦、反米運動が展開されている。日本をはじめ多くの国の世論調査では戦争反対が多数を占めている。このことは大きな希望であり、米英の指導者は謙虚に耳を傾けなくてはならない。

今求められるのは、米英及びイラクの犠牲者を一人でも少なくするための即時停戦であろう。その後パレスチナ問題等の中東イスラム世界の諸問題を包括的に 論じ合うための国連を中心にした「中東平和会議」の開催を呼びかけたい。さらに全世界における大量破壊兵器の削減・廃絶をめざす「世界大量破壊兵器廃絶機 構」を国連に立ち上げる必要があろう。またテロには軍主導ではなく、国際刑事裁判所による警察力で強制執行するようなことも検討されるべきであろう。

さらに、グローバル化のなかでの格差の是正、戦争システムの克服、中東における公正な安全保障体制の構築が急がれる。いずれにしてもフセインを倒しても 問題は根本的に解決しない。武力では問題は解決しないということを、人類は何度も確かめてきた。21世紀こそ人間・生命・平和の世紀にする必要がある。

設立記念講演会を終えて ―新しい船出に際して

岩木 秀樹 (2002年3月19日 2時51分)

2002年3月17日、かながわ県民センターにおいて、地球宇宙平和研究所中西治理事長による設立記念講演会が開催された。

2001年10月1日の地球宇宙平和研究所準備委員会の発足、12月15日の設立総会の開催、2002年1月28日の特定非営利活動法人設立認 証の申請を思い起こすと感慨深いものがある。まだ始まりの始まりに過ぎないが、第1回講演会を開催することができ、多くの方に感謝をしたいと思う。

講演会には皆さんお忙しい中、九州など遠路から43名の方々がお越しになった。その後の懇親会にも23名が参加され盛況であった。

講演会のテーマは「現在の国内・国際情勢と地球宇宙平和研究所の役割」であり、研究所の将来を指し示すものであった。宇宙・地球・人類の誕生から説き起こし、時間的にも空間的にも長いスパンで考察し、人間の幸福と平和を希求するものであった。

戦争と革命の時代であった20世紀はあまりにも犠牲が大きかった。20世紀の教訓とは内外の紛争は武力ではなく平和的に解決することを確認した ことである。講演では、21世紀初頭の国内・国際情勢にも触れられ、大きな転換点である現在、人類の全ての成果に学びながら、宇宙的視野で考え、地球的規 模で活動することが重要であると指摘された。

私がこの講演会で最も印象深かった点は、「やられてもやり返さない」思想である。紛争の絶えない世界にこの言葉は非常に重い。また実行すること は言葉で発するほど簡単ではないのも事実であろう。しかし幸福と平和を求めて止まない人類は、古来より「やられてもやり返さない」思想を昇華するために宗 教や哲学を作ってきたといっても過言ではないであろう。

他者の痛みや苦しみへの共感が根底にある「抜苦与楽」の仏教の思想。「ひとりの者を救う者は世界をも救う」のユダヤ教の思想。目には目をではな く、悪しき者には手向かわず、「人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ」のキリスト教の思想。戦争の家から平安の家への「ジハード(絶え間ない努力)」 を説くイスラームの思想。「やられてもやり返さない」思想は、このような古今東西の思想と通底し比肩するものであろう。

私たちの新しい船出に際して、この思想を高く掲げ、さらに現実化、具体化、理論化を図り、地球と宇宙の平和構築に寄与していきたい。

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