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第1回グローバル・アカデミーの報告

岩木 秀樹 (2009年6月16日 19時08分)

2009 年 6 月 14 日 (日) 13:30 から 17:10 まで、横浜市青葉区区民活動支援センター会議室 1 で、第 1 回「グローバル・アカデミー  GA (地球大学院)」を開校いたしました。お忙しい中、9 名の方が参加され、かなり時間も超過するほど、活発な議論をすることが出来ました。また何名かは近くで懇親会をし、そこでも様々な論議を交わすことが出来ました。 GA 担当者として、深く感謝いたします。

今回は統一テーマ「ヨーロッパとアジアのアイデンティティと現在」を掲げ、1 コマ目 (13:30-15:10) には吉野良子 (創価大学助教) さんが「ヨーロッパ統合の過去・現在・未来」を、2 コマ目 (15:20-17:10) には岩木秀樹 (地球宇宙平和研究所理事) が「中東の 20 世紀 ー文明の十字路トルコー」を発表いたしました。

吉野さんの発表は、パワーポイントを使用し、地図や表を多用し、ヴィジュアル的にもとてもわかりやすいものでした。まずヨーロッパの過去について、ヨーロッパ概念やヨーロッパ統合の歴史や思想を説明されました。その後でヨーロッパ統合の現在として、不戦共同体構築からグローバルパワーへと位置づけ EU の現状を指摘し、ネイションへの愛着度が次第に低減していることを示しました。最後に統合の未来についての展望と課題を述べ、トルコの加盟問題にも触れながら、今後「他者」をどう取り込むのか、ヨーロピアン・エンパイアとなっていくのかどうかが問われているとしました。

岩木の発表では、帝国から国民国家へ再編するオスマン帝国の共存と対立の歴史を見ていき、20 世紀初頭のオスマン概念の創出と変容を転換期としてのバルカン戦争を中心に考察しました。 20 世紀の中東を概観した後、トルコの EU 加盟の歴史と現状を説明し、今後どのような新しい共同体を作るのか、トルコ・アイデンティティをどう再編するのかが課題になるとしました。

いずれの発表についても、様々な質問や意見が出て、活発な議論が展開されました。特にヨーロッパ概念を巡る問題やトルコの EU 加盟問題、さらに他の地域との比較などが論議されました。

吉野さんがトルコの EU 加盟にまで踏み込んで発表していただいたおかげで、かなり議論がかみ合いました。また参加者から 2 コマ構成でかなり長い時間かけられたことはよかったとの声が聞けました。さらに議論の時間を合わせて 80 分ほど取ったことは双方向のコミュニケーションができ、参加者が単なる聴衆ではなく、主体的な討論者になれたのではないかと思います。

今回、私は GA の担当者兼発表者でありましたが、非常に楽しく、かつ勉強になりました。参加者の方々もそのような思いを持っていただければ望外の喜びであり、今後も充実した GA にしていきたいと考えています。発表希望者を募集しておりますので、ぜひ私までご連絡ください。

理事会報告

岩木 秀樹 (2009年4月19日 23時02分)

2009 年 4 月 19 日 (日) 午後 1 時から 3 時まで、横浜市青葉区区民活動支援センター会議室 1 で、第 4 期理事会第 10 回会議が開催されました。出席理事は書面評決者も含めて 12 名で、オブザーバーは 1 名でした。

まず 2008 年度事業報告案と収支報告案について説明があり、監査が無事終了したことが報告されました。会費未納率を減らすことや、研究所の財政の建て直しなどの意見が出ました。

次に、 2009 年度事業計画案と収支予算案について説明があり、赤字体質から脱却するため、事務局人件費を無くし、研究所の仕事を分担し、謝礼等も削減することになりました。できるだけ会費収入で事業を運営していき、短期借入金を返済していくことになりました。寄付金への依存や寄付金への対価の問題、所報への広告掲載なども話し合われました。また新たに講座「グローバル・アカデミー」を行うなど、より活発に研究・教育活動を行うことになりました。

第 5 期 (2009 年 7 月 1 日-2011 年 6 月 30 日) 役員選考委員会の選出について話し合われ、次の方が役員選考委員になりました。 (50 音順、敬称略)

委員長  中西治
委員  岩木秀樹、遠藤美純、王元、汪鴻祥、竹田邦彦、渡辺宏

今後、選考委員会より会員に対して役員への立候補を募り、役員を決めていくことになりました。

5 月 17 日の総会において「 20 世紀の再検討と 21 世紀の現在」とのテーマで総会記念シンポジウムを行うことになり、現在、会員を中心に報告者を募っております。

沖縄訪問報告 「沖縄と日本と私と」

岩木 秀樹 (2009年3月7日 1時13分)

平和祈念公園より

よく、「沖縄問題」と言われる。しかし沖縄が問題なのではなく、現実は「日本問題」であり、「アメリカ問題」である。この「沖縄問題」という言い方はおかしいと思う。

私は中東イスラームを研究対象としている。最近は少し様相は異なってきたが、歴史的に中東に対して、日本は良いことも悪いこともしておらず、いわば無関係の関係であった。だから研究は「楽で」あった。しかし沖縄はそうではない。日本の歴史と沖縄の歴史は密接で交錯しており、加害と被害の関係は現在まで複雑につながっており、自分の歴史観が大きく問われることになる。

今回の沖縄訪問を通して、沖縄をみることで、日本をかえりみることになり、さらにアメリカの世界戦略まで考える必要があり、ひいては自分を見つめ直す機会になった。

以下に日程と会計報告を書いたが、それに沿って簡単に沖縄訪問の印象を書きたい。

2月28日(土)に沖縄に降り立った。東京では雪が降っていたが、沖縄は初夏であり、半袖でも汗ばむ陽気であった。日本は面積では小さな国だが、南北の距離を考えると変化に富む多様な国かもしれない。

佐喜眞美術館では、丸木位里・俊さんの沖縄戦の怒りの絵を見た。その巨大さと反戦の迫力に圧倒され、学生の時に見たゲルニカを彷彿とさせた。沖縄国際大学の黒こげになった木を見て、また校舎から間近にある普天間基地を見て、これほどすぐそばに基地があることを改めて知った。事故は起こるべくして起こった。今こうしている時にも、いつヘリコプターが落ちてきてもおかしくないであろう。

その後、仲間理さんと城間康之さんと懇談・懇親会を行った。沖縄の人々の平和への強い意志を感じた。私が意見を率直に吐露したことに対して、共感していただき、勇気づけられた。今後の沖縄の大学との交流が進む一歩になったように思う。また沖縄料理もとてもおいしく、安く、沖縄に行ったときにはまた訪れてみたい。

その後、ホテルに戻った。ホテルは、新都心のおもろまちにあり、便利できれいで快適であった。新都心はきれいに区画整理され、大きな建物が多かった。北谷に次いで、新しい沖縄の中心地になりそうだ。

3月1日(日)にはまず旧海軍司令部壕に行った。ところで、沖縄は車社会であり、私たちもほとんどタクシーで移動した。移動中にタクシーの運転手さんから色々な話を聞くのが楽しく、勉強になった。ある運転手さんは、沖縄の窮状を訴えて自決をした海軍の大田少将にはある程度の共感を寄せていたのに対して、第32軍の司令官である牛島陸軍中将に対しては、そのようなものは感じていないようであった。しかし壕の中の大田少将の司令官室だけは入ることができず、そこには仏像のような物が置かれていた。大田少将のみ特別扱いで、やや神聖化されていた。

沖縄県平和祈念資料館は新しくできた資料館で、ここでは平和の尊さや戦争の悲惨さが視覚にも訴える形で、非常に工夫されていた。ただ私の見落としかもしれないが、朝鮮半島等から軍夫や従軍「慰安婦」として沖縄に強制連行された人々は約1万人もいたが、それについての記述はあまり見られなかったことは残念であった。

その後、平和祈念公園の平和の礎も見た。ここには敵味方、国籍、軍人、民間人を問わず、沖縄戦における戦没者24万人の名前が刻まれている。戦争を賛美し、勝者の軍人を顕彰する靖国神社とは明らかに異なる。しかし、平和の礎に初めて来て、問題はそれほど単純ではないことを知った。やった方もやられた方もいっしょになっているということは、ドイツでいえば、ヒトラーもアンネフランクもいっしょに刻印されているということだろう。多くの朝鮮半島、台湾出身の人々はここに名前が刻まれることを良しとせず、空白の刻銘板が多く残っている。大和、沖縄、朝鮮・台湾という帝国主義時代の三層構造を改めて考えさせられた。

魂魄の塔は1946年に建立されたものであり、沖縄戦で亡くなった沖縄県民のための塔である。近くにも他の県の塔があるが、中には「よく戦った」という顕彰施設も存在する。

その後、ひめゆりの塔やひめゆり平和祈念資料館を訪問した。平和の尊さを語り継ぐひめゆりの人々のたゆまぬ努力には脱帽する。ただ周りは観光地化され、酒に酔った赤ら顔のおじさんたちの団体が来ていたが、資料館の名前の通り平和祈念が念頭にあるか疑問に思った。また映画の影響もあろうが、ひめゆり以外でも多くの若い人々が亡くなったが、他の塔は見向きもされず、ここに大挙として人が押し寄せることに、ジェンダー化された観光地としての記念碑を若干感じた。

県立博物館は新しくできたもので、沖縄の自然・歴史・文化がとてもよく分かり、見やすい博物館だった。その後、観光客のメッカである国際通りを散策した。「鉄の暴風」から立ち直り、これほどまでに栄えるとはまさに奇跡のワンマイルであろう。

3月2日(月)は、道の駅かでなにある嘉手納町学習展示室を見た。またそこから嘉手納飛行場が一望でき、その広大さに驚いた。返還されても汚染物質等で農地にはならず、住宅地にもならないなら、いっそアメリカにも儲けさせるためにも、沖縄ディズニーランドをここに造ったらとタクシーの運転手さんに言ったら、苦笑された。

チビチリガマは「強制集団死」が行われた場所であり、碑文には老人と女性と子どもの名前が刻まれていた。親が子供を殺すとはこれほどの地獄がこの世にあるのか。皇民化教育を受けていた若い母親ほど「貞節」を守るためにと「自決」しなければならないとの強迫観念にとらわれていたという。

2000年のサミット開場であった万国津梁館に行き、その後、ちゅら海水族館でジンベイザメやマンタに会い、しばしほっとするひとときを持った。

帰りには、北谷のアメリカン・ビレッジを見学し、夕食も兼ねながら研究会をした。発表者とテーマは以下の通りである。

  • 江尻友昭「沖縄の基地の価値と意義」
  • 岩木秀樹「『沖縄問題』と『日本問題』-沖縄の歴史・基地・現在-」
  • 玉井秀樹「海兵隊グアム移転をどう評価するか-在日米軍再編ロードマップの意味を考える」

3月3日(火)、ホテルをチェックアウトした後、沖縄県知事公室基地対策課の方から基地問題の現状と課題についてレクチャーを受けた。様々な資料を通して現状を教えていただいた。私も率直に色々な質問や意見を述べた。基地が無くならない理由、米兵の犯罪原因、これからの県としての取り組み、アメリカの世界戦略と沖縄などの問題が議論された。これまでの沖縄訪問の締めくくりとしてふさわしいものになったと思う。

その後、首里城を見学し、琉球の歴史に触れ、後ろ髪を引かれる思いをしながらも、初夏の沖縄から雪降る東京に向かった。

沖縄訪問を前にして書籍を読み、また現地を訪れて、改めて沖縄の批判精神や非暴力平和思考、国家を乗り越えるメンタリティやネットワークを強く感じた。

また分断される沖縄もかいま見ることができた。基地反対の声を封じ込めるために振興策という名の札束をばらまく中央政府、「強制集団死」させられた人々を援護法という名のこれまた札束でほおをたたき、「軍に協力するために死んだ」と歴史も塗り替える手法がある。歴史認識においても基地問題に関しても、沖縄が分断されているように感じた。だが分断されながらも基地の存在を無条件に肯定する人はほとんどいないことも強調しなければならないであろう。

また天皇制存続と憲法9条の存在と沖縄の基地は密接な関係があるということも今回知ることができた。天皇制維持のためには、諸外国の批判をかわすために非武装国家となる必要があり、それでは侵略の不安があるので、日本の安全保障のために沖縄に基地をおくということであった。もちろん9条は人類の平和希求の到達点ではあるが、このように沖縄が犠牲となったことも忘れてはならないであろう。

最後に、沖縄の自己批判にも感銘を深くした。沖縄は単なる被害者ではなく、ベトナムや最近では中東地域に向けて発進する基地であり、加害者でもあることも自覚している。さらに日本のことを本土という言い方をせず、どの土地でも住んでいる人にとっては、そこが本土である。だから沖縄島も沖縄本土とは呼ばないとの主張にも心を打たれた。このような沖縄に息づく自己批判、批判精神、平和思考、ポスト国家思考を私も体現しながら、「命こそ宝」の思想を広めていきたい。

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研究会の発表者募集

岩木 秀樹 (2009年1月26日 15時41分)

下記のように、「平和の歴史・思想・現在」研究会と沖縄訪問結団式を開催いたします。また研究会後、懇親会も予定しております。

つきましては研究会での発表者を募集しております。発表時間は30分程度で、テーマは沖縄問題以外でも結構です。

希望者は1月31日までに、岩木までご連絡ください。

平和の歴史・思想・現在」研究会・沖縄訪問結団式

日時:2月15日(日)午後3時から5時まで
場所:八王子市市民活動支援センター 会議室

京王八王子駅とJR八王子駅の間にあり、八王子保健所の向かいのビルの5階八王子市市民活動支援センター
〒192-0083 八王子市旭町12番1号 ファルマ802ビル 5階
電話:042-646-1577
http://www.shiminkatudo-hachioji.jp/shien-center/

参加費:会員無料 非会員300円

合同研究会のお知らせ

岩木 秀樹 (2008年12月12日 19時00分)

年末押し迫ってではありますが、下記のように、合同研究会を開催いたします。その後、忘年会を兼ねた懇親会も行います。八王子の奥で大変交通の便が悪いですが、是非皆様のお越しをお待ちいたしております。学生も何人かくると思いますので、気楽にお越しください。なお懇親会の準備がありますので、できれば出席予定者はご一報いただけるとうれしいです。

「平和の歴史・思想・現在」「中東イスラーム」合同研究会・懇親会

日時:2008年12月23日(火・祝日)
午後2時から3時半まで(研究会)
午後3時半から5時まで(懇親会)

場所:岩木秀樹宅
報告者:遠藤美純「2000年契機のグローバリゼーションとマイノリティの可能性(仮)」
岩木秀樹「中東イスラームの過去・現在・未来 −20世紀の再検討序論−(仮)」

キューバ大使表敬訪問

岩木 秀樹 (2008年2月13日 14時09分)

2008年2月12日(火)午前11時から12時過ぎまで、港区東麻布にあるキューバ共和国大使館に、ホセ・フェルナンデス・デ・コシーオ大使を表敬訪問しました。

地球宇宙平和研究所から中西治理事長をはじめ他5名の方が参加し、2月25日からのキューバ訪問に先立ち様々な意見交換をしました。

大使は着任早々の大変忙しいときにもかかわらず、予定時間の30分を大幅に超過して、和やかな中にも熱のこもった話し合いが持てました。

大使は1933年生まれで、メキシコ大使や英国大使を歴任され、柔らかな物腰の中にも貫禄のある、まさに一国を代表する大使といった印象でした。本来なら特命全権大使がNPO法人の訪問を受け、長時間の意見交換をするということは異例のことですが、研究所の趣旨や昨年のキューバ訪問の実績に共感され、さらに加茂雄三先生やトラベルボデギータの清野史郎さんのご尽力のおかげでこのような貴重な機会を持てました。あらためて関係された皆さんに御礼申し上げます。

この表敬訪問の内容については、まず大使から歓迎の意が表され、中西理事長から御礼の言葉があり、その後日本人6名が自己紹介をし、意見を述べました。それを受けて大使は、キューバミサイル危機について最近いくつかの国際会議が開かれていること、環境問題に国家をあげて様々な取り組みをしていること、この2月24日にキューバで国会が召集されるのでタイムリーな訪問時期であることなど、一人一人の関心に合わせた返答があり、これらにアプローチするための便宜をはかっていただけるとのことでした。

中西理事長は、米国の厳しい包囲政策の中で50年もキューバが存続できたことを高く評価するとして、朝鮮・ベトナム戦争で米国社会が変わったように、アフガン・イラク戦争で米国のキューバ政策も変容する可能性があり、そのような時期に訪問できることを嬉しく思うと述べました。またキューバの日本研究者や政府要人とも交流をし、さらに今後とも継続的な相互の交流を要望しました。

大使は日本とキューバ両国間の学術交流は非常に重要であり、できるかぎり便宜をはかりたいと述べました。

中西理事長はキューバ帰国後に、キューバに関する出版物を出したいとして、最後にカストロ議長の病気回復を喜んでいるとして、できればカストロ議長ともお会いしたいと要請し、表敬訪問は終了しました。

磯子区NPO連絡会設立記念イベントに参加して

岩木 秀樹 (2007年10月13日 23時52分)

本日、10月13日(土)、根岸線新杉田駅前の杉田劇場にて、磯子区NPO連絡会設立記念イベントが開かれました。杉田劇場は駅前にあり、とてもきれいで、かつ廉価で使用できる施設でした。なお中西理事長はこの連絡会の会長になっております。また地球宇宙平和研究所から、今回のイベントに王元さんと王広子さんが参加されました。

今回のイベントには、環境・災害対策・子育て支援・生涯学習・不登校やニート支援・スポーツ振興・まちづくりなどな様々なNPOが参加しました。お互いの活動を紹介し、問題点や展望などを出し合い、磯子区のNPOとして相互に交流をする場となりました。

私は今までこのような多様なNPOの方との交流を持ったことがなかったため、大変参考になり、触発を受けました。地球宇宙平和研究所はNPOとしては異色の(ユニークな)存在ですが、多くの点で私たちのNPOにも関連づけることが出来ると感じました。生涯学習は最も密接ですが、平和思考的な子育てや環境・災害対策も考えられます。不登校やニートも平和の文化の観点からアプローチできるかもしれません。

今回参加して思ったことは、多くの問題を抱えながら、皆、生き生きしているということです。その中心は主婦と定年退職したおじさんです。ミッション(使命)を持ち、ボランタリーに(もちろん単に無給という意味ではなく、自主的という意味です)試行錯誤しながら、楽しみながら活動している様子を見て、「若い」人たちだと思いました。

今後は、役所などのお上でもなく、また極端な個人主義でもない、その中間にあるNPOやNGOなどのボランタリーな組織が魅力的になり、人々の共感を集めることが出来れば、さらによりよい社会が期待できると思います。

イベントの後、中心になった方との懇親会にも参加しました。その会場はお好み焼き屋で、不登校や家庭内暴力・ニートなどの生きづらさを抱える若者を支援するNPO関連のお店でした。店で働いている人の多くはそのような若者だそうです。お店は洗練され、料理もおいしかったです。子供と社会との関わりという支援にもなり、財政的にも多少なりとも潤う、なかなかおもしろい試みだと思いました。

その懇親会で、他のNPOの方とも現実に直面している、人集めや金集めの話の苦労も聞くことが出来ました。磯子区に限らず、私たち一人一人が居住している各地域において様々な人々と交流を持ち、様々なイベントを持つことが重要であると感じました。

中西治外語研究中心(中西治外国語研究センター)の開所式

岩木 秀樹 (2006年9月9日 0時54分)

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2006年8月30日に、中国遼寧省阜新蒙古族自治県(以下、阜蒙県)の職業中心(職業教育学校)で、中西治外語研究中心(中西治外国語研究センター)(以下、センター)の開所式が行われました。

この職業教育学校の創立は1980年で在校生は約2000名、教員は約200名で、思っていたよりも大きく立派な所でした。

開所式に先立ち、阜蒙県県長李峰さんや遼寧工程技術大学人事部長の許振良教授、また職業教育学校の校長先生をはじめ学校の首脳陣らとともに会議をし、今後のセンターの運営や展望等の意見交換をしました。

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その後、学校を案内され、センターの事務室を見ました。大きな所長用の机や本棚、ソファーや事務用の机などがすでに備え付けられておりました。短期間にもかかわらず、このような素晴らしい事務室を作られた方々の努力が目に浮かびました。

さらにその後、校庭で開所式のセレモニーが盛大に行われました。この地域のテレビ局や新聞等のマスコミも取材に来ており、また数百名の学生も参加し、センターの開所をともに喜び合いました。

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セレモニーではまず中西治さんから挨拶がありました。日本語から語学教育を始めて、近い将来には朝鮮語、モンゴル語、英語などの教育も行い、阜蒙県から世界に人材を送り出し、ここで教育を受けた若者が地球の各地で活躍することを希望するとして、「学べ、学べ、学べ」をこのセンターのスローガンとしていくことを述べました。

その後、大きな花火の音がする中で、中西治さんと許振良教授によるテープカットが行われ、記念撮影をしました。また中西外語サッカーチームの選手も駆けつけてくださり、一緒にカメラに収まりました。

すがすがしい青空と、遠くにはモンゴルにまで続いているかとも思わせる緑の果てしない草原が、このセンターの将来を象徴しているような気がしました。私自身も多くの若い人たちと一緒に学び、地球の平和に寄与することを再確認した旅となりました。ぜひ多くの方がこのセンターに立ち寄り、阜蒙県の空気を吸い、土地の食べ物を食しながら、交流をしていただければと思います。

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二酔人四方山問答(37)

岩木 秀樹 (2006年7月13日 1時46分)

B:どうしてオスマン帝国はあのような広大な帝国を作ることが出来たんだろう。イタリアやイベリア半島を除けば、ほとんどローマ帝国と版図は変わらないよね。

A:そうだね。東地中海、黒海、紅海はオスマンの内海だった。

B:バルカン半島もオスマン領だったんでしょ。

A:そう。現在でいえば、ウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ハンガリー、旧ユーゴスラヴィア諸国、アルバニア、ギリシア、ブルガリアはオスマン帝国のものだった。この地域では現在でもオスマンの遺産が残っている。ブルガリアのヨーグルトはその典型だ。

B:カスピ海ヨーグルトもそうでしょ。でもなぜオスマン帝国はバルカン半島のほとんどを支配できたんだろう。

A:やはり巧みな支配をしたんだろう。オスマン帝国は軍事的・政治的には集権的な国家体制だったけれど、オスマン領に入った当初は、間接支配をして、徐々に色々な制度を浸透させた。

B:急激に制度などを変えると反発があるよね。

A:当該地域の支配者の地位も当面は認めたりした。またオスマン支配が進む頃、ちょうどキリスト教の正教とカトリックが対立し、分裂していた。その二つの分断線が現在のボスニアあたりだった。その分裂に付け入り、オスマン支配の拠点を作り、多くがイスラームに改宗した。

B:なるほど。このあたりは現在もイスラーム教徒が多いよね。

A:また当時はビザンツ社会の解体期であり、社会的混乱と分裂が進んでいた。そこにオスマンが介入し、社会の安定をもたらした。

B:1453年にコンスタンティノープルが陥落し、ビザンツ帝国は滅び、ローマの火は消えるんだよね。これ以降、キリスト教はイスラーム世界では衰退していくんでしょ。

A:それがそうでもないんだ。ローマのカトリックに対抗するために、オスマン帝国の側につく正教の聖職者もいて、正教はそれほど衰退しなかった。

B:へーそうなんだ。

A:キリスト教の五つの総主教座のうち、ローマだけが取り残され、他のアレクサンドリア、アンティキオ、エルサレム、コンスタンティノープルの四つはオスマン帝国領に入ることになった。

B:えー。五つのうち四つがオスマン帝国の管理下に入ったんだ。

A:むしろ正教はオスマン帝国内で保護された。ちなみに中東は「宗教の博物館」とも言われている。ヨーロッパではかなり昔に異端となったキリスト教各派が中東には現在でも存在する。

B:それはイスラーム世界の中でもキリスト教の存在が認められ、ある程度保護されていたということだね。

(つづく)

「中東イスラーム」研究部会 研究会

岩木 秀樹 (2006年7月2日 4時05分)

  • 日時: 7月2日(日)午後2時から研究会 午後4時から懇親会
  • 場所: 岩木秀樹自宅
  • 発表者: 岩木秀樹・遠藤美純
  • 統一テーマ: 「中東とヨーロッパから見た戦争と平和」(仮題)
  • 参加費: 500円

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