有事法制の権威性への憂い
その他 (2003年5月26日 10時16分)
投稿者:小林 宏紀
無辜の民を犠牲にしない政治が日本においてどれほど試みられているか。この一点についての公憤とともに、以下筆を執るものである。
冷戦終結後、世界で唯一の超大国となったアメリカに対し、その脅威の一方で、 法と民主主義に基づいたリーダーシップが期待され、求められてもいた。しかし漸次姿を現したアメリカの一国主義的行動は、特に同時多発テロ以後顕著なものとなった……
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その他 (2003年5月26日 10時16分)
投稿者:小林 宏紀
無辜の民を犠牲にしない政治が日本においてどれほど試みられているか。この一点についての公憤とともに、以下筆を執るものである。
冷戦終結後、世界で唯一の超大国となったアメリカに対し、その脅威の一方で、 法と民主主義に基づいたリーダーシップが期待され、求められてもいた。しかし漸次姿を現したアメリカの一国主義的行動は、特に同時多発テロ以後顕著なものとなった……
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その他 (2003年3月31日 17時05分)
投稿者:重川 利昭
私は今、9.11テロの実行犯だったアタと、地下鉄サリン事件の実行犯だったオウム幹部のことを考えている。
イスラム教は立派な宗教に違いない。オウム真理教は仏教(密教)の亜種であり、仏教も立派な宗教に違いない。オウム幹部もオウム真理教の忠実な信徒であったし、アタもまたイスラム教の敬虔な信者であった。麻原教祖は仏陀の使徒として振る舞い、フセインもアラーの僕として振る舞う。麻原には5000名を超える熱狂的な信者がおり、当時の宗教家も宗教学者も、全面的ではないにせよ一定の評価をしていた。フセインには献身的な親衛隊がおり、周辺諸国のイスラム教徒やアラブ民族から一定の評価を受けている。麻原は日本政権の打倒を訴え、フセインは米国打倒を訴える。オウムは大量破壊兵器を開発・保持し、霞ヶ関を狙い、サリンをまいた。アタは、貿易センタービルに民間機を突入させた。仏教の亜種たるオウム幹部はテロの成功を喜び、イスラム教の亜種たる過激派は、9.11を神の祝福とした。
オウム真理教とイスラム過激派とは同根である。そしてオウムこそ真正の密教と信じる人々がいたのと同様、イスラム過激派こそ真正のイスラム教と信じる人々がいる。アフガン侵攻の取材にあたった友人は、パキスタンのタリバンがいかに敬虔なイスラム教徒であり、どれほどアタを誇りに思っているかを熱心に語ってくれた。アタをヒーローにする人々とオウム幹部の相違を見つけるのは難しい。
イスラム過激派が大量破壊兵器を保持する恐怖を、日本人はオウム真理教と重ねて理解する必要がありはしないか。我々は、権力がオウムのような宗教と、どう対峙することを望むのか。オウムは国内にとどまった。アタは国境を越えた。防衛ラインも国境を越えた。いま上九一色村は、砂嵐のまっただ中にある。仮装国家の規模が桁外れなだけに、人質もまた桁外れに多い。砂嵐の上九一色村では、いったい何人の坂本さんを殺したろう。そしていったい何人の苅谷さんが捕らわれ、無垢な信者がどれだけいるのか。機動隊は米英軍に代わったが、ガスマスク姿は不変である。おそらく精密な人工カナリヤ(毒ガス探知機)も携帯していることだろう。
問題は、人質に出る犠牲である。浅間山荘事件の時、政府はどうしたか。1人の人質を救出するために重火器の使用を制限し、機動隊員らに多数の犠牲が出た。映画「突入せよ」を見て改めて思った。今だったら世論はこの矛盾を放置しておくだろうか。機動隊員にも家族がいる。美談には悲しい続きがあるのだ。
この点、欧米は日本とは異質に思える。人質は犯罪者と戦う勇敢な戦士である。誰かに解放されるのを待つだけの非力な赤子ではない。死しても英雄となる。たとえ味方の弾に倒れようともそれは同じである。9.11を悼む米国民の姿は、同じく多数の犠牲者を出しながら当事者意識が欠落したかのような一般の日本人の反応とは違う。誰人であれ戦士であることを求められる社会なのだ。問われるのは勇敢であったか、臆病であったかである。この峻厳な立ち位置こそ、戦闘によって培われた狩猟民族の血である。二大政党の対決を望まず、「和をもって尊し」「寄らば大樹」を処世訓とした農耕民族とはそもそも違う。犯罪者との戦いに双方の犠牲は当然であり、戦わずに犯罪者を放置するのは臆病者の証なのだ。これが欧米の常識だろう。仏は遠くムルロア環礁で核実験を行う国だ。他国には無関心でも自国に被害があれば米国以上に反応しかねない。
戦争には反対である。そのためには丹念に一つ一つ争いの芽を摘むしかない。いま最大の問題はイスラム過激派である。これはパレスチナ問題に行き着く。パレスチナの平和共存以外に、過激派の芽は摘めない。平和共存の条件は、貧富の格差の是正である。日本のように安定した社会では、オウムは5000人以上には増えない。極端な教義は不安定な社会で力を得る。
だから問題は、果たして民主主義と資本主義は貧富の是正に役立つシステムなのかということになる。またこのシステムは万人が望むものなのか。金利ひとつとってみても、これはイスラムが望むシステムではない。民主主義と資本主義は、弾圧の中から這い上がってきたユダヤが、アーミッシュを置き去りにして、成長神話の成就のために望んだシステムなのだ。だから世界にはこのシステムの根付かない国が多数ある。日本はむしろ特別だ。米国のいう解放は、欧米でスタンダードとなったユダヤシステムの押し売りにちがいない。
しかし、このシステムの恩恵を最大限に享受した国が、その拡散に反対したのでは筋は通るまい。日本が本気で戦争反対を貫くのであれば、ユダヤシステムからの離脱を前提にすべきである。まずは、マハティールのように経済封鎖すること。そして八百神の国土にふさわしい独自のシステムを組み直し、他国に対しても独自システムの開発と運用を勧めることだ。貿易立国の日本と我々に、果たしてその覚悟があるのか。成長神話からの棄教こそが我々に求められた問題の本質である。戦争反対はぐるっと回って、ここに来る。宮崎駿のテーマでもある。
その他 (2003年3月31日 17時03分)
投稿者:小林 宏紀
はじめにイラク−アメリカ間からは視点を移して、イラク戦争に対する意見を述べる。
筆者は、このたびのイラク攻撃に反対であり、即時停戦を要求する。過去に実行された、人道的介入と称された軍事の展開や支配者への武力制裁の実態をこの 目で見てきたからである。それは相手国を焦土と化する戦略であり、一般市民の殺害以外のなにものでもなかった。同じことがまた始まったのである。
1999年のNATO軍によるユーゴスラビア空爆を想起されたい。
コソボ紛争の根源は深いが、コソボのセルビア化を進めたミロシェビッチ氏がその火付け役と言える。90年代前半、ユーゴスラビア中央政府と独立を宣言し たコソボのアルバニア人は一触即発の状態となる。ミロシェビッチ氏はユーゴスラビア連邦大統領となるや、アルバニア人による反中央政府のデモを弾圧する。 これに対しアルバニア人組織コソボ解放軍はテロで対抗する。98年3月、ミロシェビッチ氏のセルビア軍はコソボ北部に侵攻。米英仏ロ独伊のグループが仲介 を試みるも効果なく、セルビア軍のコソボ弾圧は続く。コソボ解放軍側もアルバニアからの支援を受けて盛り返し、コソボ紛争は激化する。そして多くの難民が 生まれた。同年9月にはアメリカ主導の国連安保理がセルビア軍の即時撤退と停戦を勧告し、NATO軍による空爆をほのめかされたミロシェビッチ氏はひとた びこれを受諾する。しかしこの年の暮れにはセルビア軍とコソボ解放軍との間で再び武力衝突が始まる。99年に入りミロシェビッチ氏は、停戦を監視していた OSCE(欧州安保協力機構)部隊の撤退を要求し、コソボのアルバニア人に向けての虐殺も始まった。アメリカはNATOを通じて交渉を行なうが、コソボに いかほどの自治権を与えるかで話はまとまらず、3月24日、NATO軍によるユーゴスラビア空爆が開始されるのである。空爆は78日間続いた。空爆を停止 した後、NATOが組織するコソボ平和維持部隊がコソボに駐留し、国連はユーゴスラビアの主権を認め、同時に国連コソボ暫定統治機構を組織する。コソボの 独立については未確定のままであった。
NATO軍による空爆、それはユーゴスラビアのインフラを徹底的に破壊するものであった。日米における報道では、誤爆につぐ誤爆。病院、学校、中国大使 館、あらゆるものが破壊された。多くの市民が犠牲となった。攻撃は政府・軍事施設に対してピンポイントで行っているはずであったが、市街地にクラスター爆 弾が投下され、民間人の乗る列車に向けて誘導ミサイルが発射された。当然現地において誤爆などという捉えはない。延命したミロシェビッ氏がセルビアの勝利 宣言さえする中、この空爆は、NATO軍の駐留地の拡大以外、何を達成したといえようか。
2000年9月、ユーゴスラビア大統領直接選挙が実施される。ミロシェビッチ氏の人権抑圧行為を理由として経済制裁が課され、度重なる戦争とでユーゴス ラビアの経済疲弊は当然激しいものであった。而して選挙は野党連合の圧勝。ミロシェビッチ氏は選挙の無効を主張し、やり直しを要求する。セルビア民主野党 連合は全国規模でゼネストを決行。コシュトゥニツア候補は第一次投票において当選を認めない連邦選管と政府に対して抗議する。10月5日、首都ベオグラー ドにおける野党連合の集会に集まった民衆は数十万と言われる。怒りの民衆が大統領府を取り囲む。まずユーゴ軍指導部がミロシェビッチ氏側に立つことを放 棄。翌6日、ミロシェビッチ氏は敗北を認める。民衆の行動が、民衆の祈りがユーゴスラビアの政治を変えたのである。
2003年3月22日、ニューヨークでは10万人規模の反戦デモが行なわれた。真実を知ってからのアメリカ市民の行動はさすがである。しかしブッシュ大 統領には中東の平和を語る資格は一切ない。イスラエル軍はあれほどまでに国連決議を無視してパレスチナ占領を続けてきた。にもかかわらず、アメリカ政府は イラクを攻撃しているこの今、更にイスラエル政府に対して100億ドルもの軍事資金を与えているのである。
日本政府は、フセイン大統領への武力制裁を支持するならば、なぜもっとその方法論についてアメリカ政府に意見できなかったのか。—フセイン大統領が武装 解除しないならばイラク市民の死は致し方ない—このような論理を通らせるしか手立てがなかったと言うのか。日本政府はアメリカ政府を支持しても、武力行使 の方法の議論において、イラク市民の生存が確保できないならば、これを理由に攻撃の実行には待ったをかけるべきであったのだ。湾岸戦争の後、日本国民の税 金で築いたイラク社会を破壊し、何より市民の生命を奪う行為を支持するとは何事であるか。
20世紀の人類は二度にわたる世界大戦をはじめ多くの戦争を起こした。しかし人類は、問題をあくまで話し合いで解決することの価値にようやく気づき始め た。様々な取り組みを必死に行い、新たな国際法、新たな国際機関を構築してきた。先のミロシェビッチ氏が送られた国際刑事裁判所などもその一つである。仮 に騙されても裏切られても、あくまで対話を試みるという姿勢を知ったことは、人類の大きな成熟である。これを放棄してはならない。
その他 (2003年3月30日 17時07分)
投稿者:佐藤 智子
戦争とは、生身の人間が意味もなく殺されること。私の単純な定義です。
どんな新型爆弾が開発されようと、軍事技術がどれほど精密化しようと、使えば人が死ぬでしょう。一人も死なせず戦争ができるでしょうか。
イラク戦争が始まって10日が過ぎました。イラクの民間人にも米兵にも毎日のように死者が出ています。3月24日、パウエル国務長官はFOXテレビに出 演して、「今のところ犠牲者は大した数ではない」と語ったようですが、「大した数」と「大したことではない数」の線引きはどこでするのでしょうか。米兵に 死者が出て、ブッシュ大統領はショックを受けたという報道もありました。自分で戦争を吹っかけておいて、事前にそんなことすら思い巡らさなかったのでしょ うか。なんと乏しい想像力かと思います。
テレビに流れる映像で戦争を実感するのは難しい。でも、もし、ミサイルが投下されるその地に自分がいるとしたらどうでしょうか。そんな危険にさらされる恐怖を少しでも想像してみたら、許せるでしょうか。耐えられるでしょうか。
今年に入って、反戦運動がかつてなく世界的に広がりました。国連査察団は査察の継続を要望していましたし、国連安全保障理事会も武力行使は容認できない という方向に傾いていました。世界的にみて、戦争は阻止すべきだという声が、細い渓流から少しずつ水かさを増しているように見えました。もしかしたら、こ の戦争はなんとか回避されるかもしれないと、私はひそかに期待していました。淡い期待だったようですが。
なぜ、ブッシュ大統領の暴走を止められなかったのでしょうか。この戦争で私がいちばん考えていることです。その問いかけは、政治家でも外交官でもない者が戦争を阻止するために何ができるか、何をすべきかという答えにつながると思うからです。
ブラジルの作家、パウロ・コエーリョさんが「ありがとう、ブッシュ大統領」というメッセージを世界の主要メディアに寄せています。一部を抜粋しますと、こんな内容です(原文ポルトガル語、訳:旦敬介、『朝日新聞』3月19日夕刊)。
「ありがとう、今世紀、ほとんど誰にもなしえなかったことを実現してくれて——世界のすべての大陸で、同じひとつの思いのために闘っている何百万人もの人を結びあわせてくれて。その思いというのは、あなたの思いとは正反対のものであるのだが」
「ありがとう、すでに起動してしまっている歯車をなんとか止めようとして街路を練り歩く名もなき軍勢である私たちに、無力感とはどんなものかを味わわせてくれて。その無力感といかにして戦い、いかにしてそれを別のものに変えていけばいいのか、学ぶ機会をあたえてくれて」
反戦運動は弱まることなく今も続いています。日本でも各地で即時停戦を求める声があがっています。たとえば、WORLD PEACE NOWのホームページを見ますと、さまざまな参加の形態があることがわかります。人々を動員して、一つにまとめて抗議行動を起こすといった運動ではありません。ピースウォークに参加したいと思えば、一人でも友だちとでも参加でき、大きな声を出 すもよし、静かに歩いてもよし、音楽を奏でてもよし。反戦映画上映会のお知らせもあれば、高校生の活動も紹介されています。
また、国連には「平和のための結集」と題する決議があります。これは、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為」に直面した安保理が常任理事国の全 会一致の合意が得られない場合、総会を緊急に招集できるよう規定したもので、この決議の発動を日本の国連大使にネット上で要請することもできます。
一人ひとりの行動は一見ばらばらで、それで力になるのかと疑問視する向きもあるでしょうが、お仕着せでないから、個人が自分の意思で参加するから力にな りうるのではないでしょうか。たとえ、まだ力不足だとしても。無力感に陥らず、私は市民の力を信じたい。そして、そういう市民の一人でありたいと思ってい ます。
その他 (2003年3月28日 17時09分)
投稿者:木我 公輔
イラクの隣国シリアに昨年から在住しています。今回の米国主導の対イラク戦争に私は反対です。侵略者は米英の側です。反対の理由は、戦争による犠牲と他国 の武力による体制転覆が国際社会にもたらす弊害です。イラクの現体制によって、イラク国民が抑圧されているのは確かですが、彼らの大統領は彼らが決めるべ きです。イラク国民は抑圧的なサッダーム=フセイン体制に不満を持っていますが、空爆による死を求めていません。
米英のイラク侵攻開始から9日が過ぎました。私は毎日自宅でこの戦争の報道を見ています。1991年の湾岸戦争とこの戦争が大きく異なるのは、カタルの 衛星放送アルジャジーラなどによってミサイルや爆弾の飛んでいく方向、攻撃を受けるイラク国民の様子が同時に世界に発信されていることでしょう。11年前 の湾岸戦争の際、私は高校生で米軍の艦船からミサイルが次々と発射され、飛行機が爆撃を加えていく映像を見せられました。当時の私にはこれがまるでテレビ ゲームのように感じられました。
日本では規制のため、放映されていないかもしれませんが、バスラの病院の様子が撮影され、放映されていました。運び込まれた子供の腕の肉が剥ぎ取られ、骨が見えていたのです。空襲で殺されたバグダード市民の死体も見ました。
ブッシュ大統領は小泉首相との電話会談で「罪なき人々の最小限の犠牲」で勝利すると述べました。これら犠牲になったイラク国民は何のための犠牲なので しょうか。大量破壊兵器の発見、破壊でしょうか。しかし、大量破壊兵器を失くすための戦争で、大量破壊兵器が使用されているのです。しかも、米軍は300 箇所以上の疑わしい大量破壊兵器関連施設のリストをもっていて、イラクの大量破壊兵器開発の証拠を探すのだといいます。なぜ、このリストを国連査察団に渡 さなかったのでしょうか。実際に米国が査察団に渡したのは稚拙な偽造文書でした。
多くのシリア人が、アラブの石油支配こそが米国の真の戦争目的であると考えています。しばしば、彼らはイスラエル建国以来のアラブに対する一貫した米国 の陰謀を指摘します。彼らは学者でもなんでもなく、普通の市民の直感的な考えです。私には今回の戦争を見て、こうした考えがかなり本質をついているように 思えます。
現地での対日感情も微妙なものになっているようです。シリア人はそれほどでもありませんが、シリア国内のパレスティナ人たちの中には、日本人に日本政府 の攻撃支持をなじる人もいたそうです。小泉首相の攻撃支持表明はこちらでも報道されています。こちらの人たちは日本政府の態度も日本での反戦デモのことも 報道を通してよく知っています。
日本は中東で植民地をもった経験がありません。だから、中東の人々は大変親日的で、欧米諸国との関係とは違うのだとよく言われてきました。しかし、今回 の攻撃支持表明で中東で日本は初めて手を汚したように思えます。アラブ世界の人々の恨みを買うことは日本の国益にかなえるとは私は思えません。北朝鮮の脅 威が支持の理由とされていますが、武装解除に応じても攻撃されるのでは、誰が軍縮に応じるというのでしょうか。むしろ、中途半端な武装ではなく、核武装を もって攻撃を抑止する方向に向かうのではないでしょうか。
戦争が始まってしまった現在、求められるのは、停戦と米英軍のイラク領内からの即時撤退です。その上で、査察団の望む期間をもって査察を再開し、イラクの復興・民主化に向けた国際社会の努力が為されなければならないと私には思えるのです。
その他 (2003年3月27日 16時35分)
投稿者:林 亮
軍事力の恐怖で世界を思うがままにすることは許されない。
大量破壊兵器を廃棄し戦略爆撃を禁止する。
21世紀にふさわしい非暴力の秩序を構築せよ。
<「衝撃と畏怖の攻撃」は戦略爆撃そのものである>
3月22日のCNNは、バグダッドへの空襲開始を「shock and awe=衝撃と畏怖の攻撃」と伝えた。この戦略は激烈な空爆の与える恐怖でイラク国民自身にフセイン政権を打倒させる戦略と説明された。
この米国の考え方は「民間人を標的にして、都市爆撃の恐怖で敵国の抵抗の意志を崩壊させ、政治的目的を達成する」戦略思想とほとんど完全に一致する。これは戦略爆撃の思想そのものである。
<戦略爆撃は20世紀の戦争において恐怖と殺戮を生み出した発明物である>
戦略爆撃は20世紀に始まった。スペインの都市ゲルニカへの都市爆撃、そして旧日本軍の中国都市重慶への爆撃、これらは無防備の都市住民を標的とするこ とで敵国に恐怖を与え継戦意志を崩壊させる目的で実行された。これらの都市爆撃はやがて米英連合軍によって遙かに大規模に敵国を焦土と化す戦略爆撃として ハンブルグ・ベルリン爆撃、東京大空襲、そして広島・長崎原爆投下へと行き着く。
「都市への大規模爆撃で相手を屈服させる戦略」は、核兵器の巨大な破壊力と弾道ミサイル兵器の距離を超越した即時性を具有することで、核抑止戦略として究極的な形態に到達する。
歴史的に言っても核兵器を都市に投下したのは米国だけであり、米国は今も大量破壊兵器の最大保有国である。
<冷戦時代の核均衡の大前提は核保有国の核軍備縮小・廃棄の約束であった>
冷戦時代の「平和」はNPT(核拡散防止条約)とCTBT(包括的核実験禁止条約)による米ソ間の核の恐怖の均衡によっていたとされる。しかしこの均衡は5核保有国の核独占を国際社会が黙認することによって成り立っていた。
しかしこの黙認は核保有国は核兵器の削減・廃止実現に向かって絶え間なく努力する義務履行が大前提となっていた。いわば冷戦時代の国際秩序は非核保有国の全面的核廃絶への希望によって成立していたといえる。
我々は大量破壊兵器の全面的廃棄と戦略爆撃禁止の国際的合意形成を目指すべきだ。
米国は大量破壊兵器を保有し、戦略爆撃に使用できるが他国にはこれを認めないと言う立場はとうてい国際社会の合意を得られるものではない。
<大量破壊兵器の全面的廃棄と戦略爆撃禁止の国際的合意の上で、軍事力に依存しない理解と合意による世界秩序を目指せ>
世界的な情報共有化の進行は停止できまい。大量破壊兵器は国際社会の広範な合意なしにその拡散を防止することはできないだろう。しかも経済のグローバル 化によって世界経済の脆弱性は拡大するばかりである。米国をはじめとする軍事強国の巨大な軍事力でもこの敏感な世界的情報通信流通のネットワークは防衛し きれないだろう。
21世紀の国際社会には、米国も含めた大量破壊兵器の保有と開発禁止、戦略爆撃を世界的に禁止する合意形成が不可欠である。その上で軍事力の脅しに依存しない理解と合意による世界秩序形成への努力が始められなければならない。
本文は2003年3月24日開催の創価大学平和学会緊急シンポジュウムでの林報告に手を加えたものです。
その他 (2003年3月21日 17時14分)
投稿者:澤入 恵子
充分ではありませんが、イラク攻撃に対する私の意見をのべさせていただきます。
私は、いかなる武力の行使も、また武力を保持する行為も、認める立場ではありません。したがって、日本国憲法を高く評価するものの一人です。
有名な第9条では、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を 解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあ ります。
この条文は、戦争の悲惨さを体験した国民が、世界に発した人類のあるべき姿へのメッセージだったはずなのです。
しかしこの9条の解釈を歪めることによって、日本は、戦力を保持し、他国の行なう戦争行為に加担する国となりました。憲法第99条では「天皇又は摂政及 び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定められているにもかかわらず、昨年は「テロ対策特別措置法」を強 行採決し、今回のアメリカのイラク攻撃についても、胸を張って支持しています。
なんと恐ろしい独裁でしょう。
憲法に抵触する問題を、国会の場で議論することもなく、一方的な政府与党の見解だけで、日本が動いているのです。このような非民主的な行為を見過ごし、許してはいけないと思います。
アメリカのイラク攻撃は、国連の場での議論を放棄し、対話による国際問題解決への道を断ち切った驚くべき暴挙です。もっとも京都議定書を離脱し、国際刑事裁判所に批准すらしていない国ですから、おして知るべしですが。
己のみを正義とし、自分の意に添わない人間を悪と決め、これを力づくで排除しようとする発想は恐るべき自己中心主義です。驚くべき人権侵害です。
しかし、こんなことが国のレベルで行なわれ、なおかつそれを支持する国があるのです。
人は理性を失った時、暴力という行動に出ますが、国家レベルでの暴力行為が現実に行なわれ、なお且つ、その国を容認し、支持する国があるとは…。
友が誤った行動をとろうとしたら、それを止めるのが真の友情でしょう。まして、人を殺す話なのです。それを支持するのは、たとえどんな理由をつけようとも、結局同じ思考の持ち主なのです。
悲しいことに私はその国の一員なのです。
中国の人に、北朝鮮の人に、ベトナムの人に、カンボジアの人に、アフガンの人に、イラクの人に、一生をかけても償うことはできませんが、「地球上の全軍備撤廃」という夢に向かって、自分のできるところから、行動してまいりたいと思います。