3.11と9.11と人間と社会と地球共同体

中西 治

人間とは何か。日本と米国をはじめとする地球社会はこれからどのようになるのであろうか。日本の大震災とオサマ・ビンラディンの銃殺という二つの出来事はこのことを考えさせるものである。

2011年3月11日の東日本大震災とそれによって生じた福島第一原子力発電所の事故は、人間に対して、科学技術の発展に驕ることなく、自然を畏敬しなければならないことを教えている。同時に、人間は助け合う動物であり、他の動植物を慈しむ動物であることを明かにした。

2011年5月1日に米国のオバマ大統領は2001年9月11日の事件の首謀者としてオサマ・ビンラディンを銃殺したと発表した。やられたからやり返したのである。これでは暴力団の抗争と同じである。暴力団は有無を言わさず人を殺すが、国家は被疑者の言い分を聞くものである。

9.11と3.11は、人間の「動物としての獣性と神になろうとする神性」の二つの面を反映したものである。

社会と国家には三つの型がある。

第一は人間が互いに敵であり、「殺さないと殺される社会」である。ここでは生命財産の安全を保障するのは個人と国家である。強い国家が求められる。
第二は人間が互いに友であり、「互いに助け合う共同体」である。ここでは生命財産の安全を心配する必要がないので、国家は弱いか、不要である。
第三は第一と第二の社会が「混じり合った社会」である。ここでは生命財産の安全を保障するのは個人と国家であるが、それほど強い国家を必要としない。

日本は長い間、農業社会であり、助け合いの社会であった。中央主権的な近代国家が成立したのは明治以降であり、そのもとで富国強兵と工業化が強行された。第二次大戦での敗戦により天皇主権の専制的体制は解体され、国民主権と地方自治のもとで国の復興が図られ、成功した。強い国家から弱い国家になった。

米国では植民地時代も、独立後も生命財産の安全を保障するのは個人である。個人による武器の保有が現在も認められている。地域の人々が金を出し合って保安官を雇い、治安を維持した。米国は地域自治であり、国と言えば州であった。第二次大戦後、米国は世界の憲兵の役割を果たすようになり、それに恨みを持った人々のテロの対象となった。いまではテロとの戦争の泥沼にはまり込んでいる。現在は強い国家である。

3.11とビンラディンの死は日本と米国に転機をもたらすであろうか。

日本は第二次大戦後の廃墟から出発して米国に次ぐ世界第二位の経済大国になった。日本にはこの成功による奢りがある。原子力発電所の建設も最初は慎重であり、こわごわであったが、いつの間にか大胆になり、気がついてみれば、日本列島は原発だらけである。これだけ大きな深刻な事故が起こっているのに、原発全廃論の影は薄い。菅首相の政策は中途半端である。

オバマさんの政策も歯切れが悪い。イラク戦争は失敗し、アフガニスタンからも撤退せざるを得なくなっているのに、反省の言葉はない。オサマ・ビンラディンを殺して戦勝ムードである。早速、報復テロが起こり、何十人も死んでおり、米国も戦々恐々である。オバマさんはこのさい中東問題の抜本的解決に乗り出すべきである。そうでないと、また、9.11が起こる。

菅さんも、オバマさんもはっきりしないのは、両国の世論がはっきりしないからである。二人をはっきりさせるのは両国の国民と世界の民衆である。

世界の各地ではさまざまな人々が声をあげ始めている。中東・アフリカの人々の動きはめざましい。日本と米国の民衆も声をあげるであろう。21世紀はこうした地球上の各地の民衆の声が直接各国の指導者を動かす時代である。

世界にはすでに国家間の組織として国際連合 (United Nations) ができている。この組織は国家間の諸問題を解決する上で一定の役割を果たしているが、9.11のような、国家や国家群ではなく、不明確な個人や集団が実行した新しい紛争に対して有効に対応できない。このような紛争を予防し、解決するためには、国際連合と現に形成されつつある地球共同体 (Global Communes) とを結合するような新しい全地球的統治制度が必要である。

地球共同体とは、地球上の各地に住む人間が、血縁・地縁・思想・信条などにもとづいて、互いに助け合い、他人に迷惑をかけることなく、自由に考え、自由に行動し、平和に、豊かに、楽しく、幸せに生きるために集う共同体の集団である。