3.11と原発と宇宙地球史

中西 治

私たちは太陽系宇宙のなかの惑星の一つ、地球に住んでいる。宇宙は生き物であり、天変地異に満ちている。天では台風、ハリケーン、竜巻、稲妻など、地では地震、津波などである。

これまでの歴史は主として人間と人間との関係、人間集団間の関係、国家間の関係などを対象とし、人間と自然との関係は自然が人間に大きな被害をもたらしたときに取り上げる程度であった。

宇宙地球史を振り返ると、人間だけではなく、動植物すべてを含む生物の運命に決定的な影響を与えてきたのは自然である。46億年ほど前に地球ができたとき地球上に生命はまったく存在しなかった。地球ができて5億年ほど経ってやっと海底に単細胞生物が誕生した。それが地上で生存できるようになったのは大気中に酸素が蓄積されるようになってからである。2億5000万年前から1000年間ほどは海洋が酸素欠乏状態となり、生物の大絶滅が起こっている。

700万年前に人類が誕生したあとも宇宙の自然は苛酷であった。人間が最終氷河期から脱したのはわずかに1万3000年ほど前である。自然の厳しさはいまも続いている。2011年3月11日の東日本大震災はその一つである。地球上で人間が生まれ、生き続けるのは依然として大変困難である。

人間は命を維持し、生活を向上させるために技術と科学を発展させてきた。人間は採取と狩猟で長い間その日暮らしをしてきた。農耕と畜産によってやっと生活が安定し始めた。人間と牛、馬、犬などの動物が労働力であった。動力源として最初、水や木を使っていたが、やがて、石炭、石油、天然ガスなどを使うようになり、工業が急速に発達した。20世紀に入って新たに原子核エネルギーが登場した。

人間と原子核エネルギーとの最初の出合いは不幸であった。広島と長崎である。このエネルギーを平和的に利用し、人間の幸せに役立たせようとして始まったのが原子力発電所であった。それは人間に大量の電力をもたらしたが、同時に、スリーマイルとチェルノブイリが示しているように、大きな不幸をももたらした。何故か。それは原子核はこれまでの石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料と違うからである。化石燃料は燃えてエネルギーを出せば、あとに残るのは灰である。原子核分裂によってエネルギーを放出したあとに残るのは強い放射能を帯びた核廃棄物である。

化石燃料も二酸化炭素を排出するが、その害を少なくする技術を人間はすでに一定程度身につけている。しかし、人間はまだ放射性核廃棄物を処理する技術を持っていない。しかも、この放射性核廃棄物は現在の人間だけではなく、将来の人間の健康にも多大の悪影響を及ぼすのである。核エネルギーを平和的に利用するためには、まず、この放射性核廃棄物を処理する技術を開発しなければならない。この技術を開発する前に原子力発電所を建設し、稼働させるから、今回のような事故が起こり、悲劇が生ずるのである。それは操業しながら開発するという類の技術ではない。

人間は蒸気船、自動車、汽車、電車、飛行機、ロケットなどを作り出し、地球上はもちろん、いまや地球の引力圏を離れて宇宙にまで進出している。河川の流れを変えたり、堤防を築いたりして治山治水などでも一定の成果を挙げているが、ときに飛行機は落ち、ロケットは爆発し、河川の流れはさらに変わり、堤防は決壊する。絶対に安全だと言っていても、自然の猛威の前では為す術もなく、今回のような事態が起こる。想定外であるというが、想定外のことが起こるのが宇宙であり、地球である。科学技術を過信してはならない。自然は畏敬すべきものである。

3.11と原発事故は改めて人間に自然と科学・技術と人間そのものを見直すように求めている。それを考える上で大いなる示唆を与えるのは、広大な宇宙と地球の自然のなか、長い歴史のなかで人間とその科学技術を考察する宇宙地球史的な観点である。