脳梗塞にならないために、脳梗塞を再発しないために (3=終)

中西 治

脳梗塞は厄介な病気である。普通、病気は病院に行き、医師にかかり治療を受け始めると、悪いところは良くなり始めるものと思っている。ところが、脳梗塞は違う。治療を始めてもすでに悪くなってしまったところは治らず、病気の進行・拡大を阻止するだけである。だから、脳梗塞は発症すれば、一刻を争って医師にかからなければならない。待っている間も、医師の診察を受けている間も、検査をしている間も病気は進行・拡大していく。

済生会横浜市南部病院の医師の説明によると、脳梗塞により脳の一部に血液がいかなくなると、そこの組織は機能しなくなり、死ぬ。これを壊死(えし)という。局所の死である。放っておくと、そのとなりの組織も機能不全となり、死ぬ。こうして壊死が広がっていく。これを阻止するのが点滴である。薬を脳表面に振りかけて膜を作り、壊死の拡大を阻止するという。上手くいくと、壊死の拡大は阻止されるが、一度死んでしまった組織は生き返らない。当該組織は機能しなくなる。

点滴療法が始まったあと、間もなくして、リハビリ担当の医師が来室され、早速、リハビリを始めるが、どこまで治したいのかと尋ねられた。私は即座に元へ戻りたいと答えた。医師はただちにそれは無理ですと言われた。そのとき、その意味がよく分からなかったが、死んでしまった組織は生き返らないから、それによって生じた障害は治らないということであったようだ。

リハビリは主として足のリハビリを担当するPhysical Therapist=PTと手のリハビリを担当するOccupational Therapist=OTによっておこなわれる。前者は日本では「理学療法士」、後者は「作業療法士」と呼ばれている。Physical は「身体、肉体、物質、自然、物理学」などの形容詞であり、本来、身体全体を治療する身体療法士を意味するが、日本では治療に体操の他に熱や電気なども用いるので理学療法士とされている。Occupational は「職業、時間の使い方、占有、占領」などの形容詞であり、職業訓練による治療、とくに手先の熟練を要する作業を与えて治療することから作業療法士とされている。

足も手も人間の身体の一部であり、密接に関連しており、PTとOTの仕事は厳密に分けられず、相互乗り入れする。現に南部病院では作業療法士と称する人が足のリハビリを担当していた。単に歩くだけでは駄目で、美しく歩けと指導し、おかげで南部病院から横浜市立脳血管医療センターに転院した7月20日には一応歩けるようになり、左手も簡単に肩まで上げられた。2003年以来、腸閉塞により入退院を繰り返していた妻の病状が思わしくなく、一寸、早かったが、9月10日に医療センターを退院したときもそうであった。

ところが、10月22日に妻が永眠し、12月6日に医療センターに再入院したときには左の手も足もむくみ、膨れあがり、歩くことも困難となり、手も上がらなくなり、丸く硬直していた。9月10日から12月6日までの3か月ほどの間に病状が後戻りし、悪化した。それを元へ戻すのにまた3か月かかった。2011年3月7日に医療センターを再退院したとき、ふたたび一応歩けるようになったが、左手はまだ思うように動かない。

両病院のPTもOTも、薄い濡れた紙の固まりから一枚ずつ紙を破れないようにほぐしとっていくように、患者が耐えられる限度内で、痛くないように筋肉をほぐしていくのは、まさに優れた職人技である。しかも、各人が経験年数と学習によって独自の技をもっている。皆さん、根気強い人である。医療センターでは理学・作業の各療法士がそれぞれ20分を1単位として一日に2単位から4単位かけてほぐす。それが歩いたり、夜、まっすぐ横になったときなどに、肩が痛くなったり、手が硬直化する。翌日には元の木阿弥。それでも嫌な顔をせず、ふたたび治療を続ける。良くなるのは、ほんの少しずつ。牛の歩み。

年をとったものはよく「いまの若者は」という。しかし、私が入院した両病院の医師も療養士も看護士も福祉士たちも、「いまの若者」の方が「昔の若者、いまの年寄り」よりも人格者であった。何と言われても、怒らないで、にこにこしながら仕事をする。良く訓練されていた。年寄りは若者に助けられ、支えられて生きている。年寄りは若者にもっと感謝しなければならない。

私は前後6か月ほど入院してリハビリに努めた。足にも手にも麻痺が残り、元通りではない。これが脳梗塞である。しかし、お陰で、何とか歩けるようになった。私はこれで元へ戻ったと思うことにし、この身体と付き合って生きていくことにした。手も私が望むように動いてくれるようにしたいと願っている。たとえ、思うようにならなくても生きていける。新しい人生、何処まで生きられ、何ができるのか分からない。しかし、愉しく生きて、素晴らしい、有意義な人生を全うしたい。(終わり)