チュチェ思想と継承性

中西 治

チュチェ (主体) 思想とは「人間は自分と世界の運命を切りひらく主体である」という考えである。このような考えは、1960 年代の中国とソビエトとの間の国際共産主義運動の路線をめぐる激しい論争のあと、1970 年代はじめに朝鮮で出てきた。

この思想をつくったのは金日成さんだといわれている。彼が 18 歳のとき、1930 年 6 月に中国で開かれた青年共産主義者の会議で「朝鮮革命の主人は朝鮮人民である」と述べたのが始まりであるとされている。

金日成さんは最初、中国共産党員として抗日パルチザンに参加し、後、ソビエト軍の大隊指揮官として活動した。 1945 年の日本敗北後はソビエト軍占領下の平壌の警備指揮官補となり、1948 年 9 月 9 日の朝鮮民主主義人民共和国発足にあたっては首相となり、以後、亡くなるまで一貫して同国の最高指導者の地位にあった。

大国の狭間にあって日本の植民地となった朝鮮を植民地支配から解放した朝鮮人が、朝鮮の運命を決めるのは列強大国ではなく、朝鮮自身であると考えるのは正しい。しかし、実際には、いくら人間が努力しても、客観的な諸条件が成熟していないときには、望むような結果を得られないことがある。とくに、国の運命において。

1972 年 12 月 27 日に採択された朝鮮民主主義人民共和国憲法第 3 条は「朝鮮民主主義人民共和国は人間中心の世界観であり人民大衆の自主性の実現をめざす革命思想であるチュチェ思想をその活動の指導指針とする」と規定した。

1974 年 2 月の朝鮮労働党中央委員会総会は、金正日同志をチュチェ偉業の偉大な継承者、金日成主席の唯一の後継者に推戴した。金正日さんは同年 2 月 19 日の全国党宣伝活動家講習会で全社会のチュチェ思想化を党の最高綱領と宣言した。

チュチェ思想が国家の指導的思想になり、それを全国民に広めることになった。その担い手に金日成さんの息子・金正日さんがなった。社会主義国では親子による最高権力の継承はあり得ないが、チュチェ思想の継承ということでそれが正統化された。

1994 年 7 月 8 日に金日成さんが病気で亡くなったあと、金日成さんを宣揚する動きがいっそう強まった。没後 3 年目の 1997 年 7 月 8 日に金日成さんが生まれた 1912 年を「チュチェ元年」とし、その誕生日 4 月 15 日を「太陽節」とすることになった。

今年、2010 年はチュチェ 99 年である。この年に金日成さんの子から孫への新たな継承の動きがでてきた。金正日さんから金正恩さんへである。さすがに 3 代目となると、社会主義国で世襲による国家最高指導者の継承は不可能である。そこで朝鮮の社会主義放れが始まった。

昨 2009 年の憲法改定で「共産主義」の文言が削除されたが、今回改定された党規約でも、これまで党の「最終目的は全社会をチュチェ思想化し、共産主義社会を建設すること」とされていたのが、今回「共産主義社会の建設」が削除され、代わって「人民大衆の自主性を完全に実現すること」になった。また、新たに「継承性の保障が党建設の基本原則」とすることが追加された。

朝鮮では「世襲による国の最高指導者の継承」のために「共産主義・社会主義」を捨てた。チュチェ思想により「人民大衆の自主性」が増大したとき、「世襲制による継承」はどうなるのであろうか。