アイデンティティ論 ―現在における民族主義研究の動向と課題

岩木 秀樹

民族を同類意識や帰属意識、情緒的一体感などの主観性の問題として捉える場合、アイデンティティ論がしばしば登場する。田村によれば、従来の政治・社会学では「我々」対「異集団」の関係を考察する際、常に国家なり、エスニシティなり既存の枠組みで規定されている集団を単位として分析を行ってきた。しかし、集団が状況的であり、複合的であり、可変的であるならば、既存の集団を無条件に分析の単位とすべきではない。集団形成の分析に際しては「我々」の構成単位たる「個人」のアイデンティティ認識から出発しなければならないと述べる。(24)

アイデンティティという用語に対して、主体性、自立志向、同一性、帰属意識、存在理由、存在証明などの訳があるが、最近ではアイデンティティとそのまま使用することが多いようである。

アイデンティティが問題になるときは、大きく分けて次の二つである。(25)第一は、アイデンティティが大きく変化する節目であり、具体的には、進学、入社、結婚、子供の誕生、退職、老いや病気、外国への移住などである。第二は、差異や格差、差別が存在するときで、差別に抗って自分の価値を信じようとして、人は存在証明に駆り立てられる場合が多い。この場合、マイノリティの側が強く存在証明に駆り立てられるのである。マイノリティとは、存在証明に無関心ではいられない状況に身を置く人々であり、マジョリティとはそれを意識しないでも生活できる人々である。

アイデンティティを項目別に分けると次の三つになる。(26)第一は、属する組織や共同体が何であるのかという所属アイデンティティであり、具体的には家族、会社、国家、民族、教団などである。第二は、私が発揮できる能力、技術の一切を指す能力アイデンティティであり、性格、資格、職業などである。第三は、結んでいる関係や担っている役割を指す関係アイデンティティであり、具体的には家庭での父、母、夫、妻、職場での役職などである。

民族を考える際には、アイデンティティが問題になる点では、第二の差異や格差が存在する場合、項目別では第一の所属アイデンティティが重要な観点となろう。このようなアイデンティティの観点から民族を見ることは有効であるが、それが外在的環境や歴史的文脈により作られたということも忘れてはならないだろう。

所属、能力、関係を失うとき、アイデンティティ問題に直面し、また差異や差別があって、はじめて自他の違いがわかり、アイデンティティが生じるのである。つまり、何らかの変化や他者の存在、他との比較により自己を認識するのであり、所与のものとして非歴史的にアイデンティティが存在するのではない。このような観点は、三章で述べた近代主義=道具主義=構築主義と親和性があるであろう。

アイデンティティは複合的で重層的に形成されており、時と場合に応じてそのうちの一つが強く意識される。個人から形成されると考えられている集団的アイデンティティ(民族、宗派、国家、部族、階級)は、外的環境に応じて選択的に形成された、歴史状況の中において変化するものである。ここで問題となるのは、なぜある特定の時期にある特定の集団アイデンティティが強調され、特定のシンボルのもとに人々が政治化されるのかという点であろう。(27)


(24) 田村愛理「マイノリティ・エスニシティ・アイデンティティ」『平和と宗教』4号、1985年、134-135ページ。
(25) 石川准『アイデンティティ・ゲーム 存在証明の社会学』新評論、1992年、17、20ページ。なお、アイデンティティに関しては、同上書及び田村、前掲論文を参照した。
(26) 石川、前掲書、18-19ページ。
(27) 田村、前掲論文、135ページ。