1. 宇宙の誕生 ―ビッグバン論 (膨張宇宙論) と定常宇宙論 ―コスモナイゼーションとグローバリゼーション

中西 治

英国の天体物理学者ジョン・バローとジョセフ・シルクの共著『創造の左の手(The Left Hand of Creation)』(林一訳『宇宙はいかに創られたか』岩波書店、1985年)やhttp://ja.wikipedia.org/wiki/などによると、のちに「ビッグバン論(Big-BangTheory)」と呼ばれるようになった「膨張宇宙論」を第一次大戦後の1922年に最初に提起したのはソビエトの数学者アレクサンドル・フリードマンであった。

彼は宇宙が動かないものではなく、膨張したり、収縮したりすると考えた。フリードマンは単なる理論家ではなく、実践的な気象学者でもあった。彼は1925年に自ら気球を操縦して2万3000フィートの高度記録を樹立した。フリードマンは公式には腸チフスとされているが、実際には気象観測気球を揚げていたときに風邪をひき、肺炎を起こして37歳の若さで亡くなったといわれている。

このフリードマンの論を1927年に再発見したのがベルギーの神父で数学者のジョルジュ・ルメートルであった。そのきっかけとなったのは米国の天文学者エドウィン・ハッブルのセミナーであった。ルメートルは原始物質の爆発膨張にともなって宇宙ができたと考え、ハッブルは銀河が急激な分散状態にある、つまり、宇宙が膨張していることを発見した。

自然現象である大爆発が宇宙の始まりであるという考え方は、神が天地の万物を創造したと信じていた人々に大きな衝撃を与えた。何とか反論しなければならない。

第二次大戦が終わって間もない1946年に英国のヘルマン・ボンディ、トーマス・ゴールド、フレッド・ホイルの3人はボンディの部屋で、終わりがそのまま発端につながる怪奇映画を見た。ゴールドは「宇宙がこれと同じようにつくられているとしたらどうかね」と尋ねた。こうして宇宙は始めも終わりもなく、絶えず膨張しているが、新しい物質がつくられているので平均密度は変わらないという「定常宇宙論(Steady-State Theory)」が生まれたという。

ビッグバン論を大論争問題としたのは米国のガモフと英国のホイルであった。ガモフは1948年にルメートルの説を支持し、宇宙は「爆発」から始まり、「膨張」していると主張した。これに対しホイルは1949年にルメートルの説を批判し、「this ‘big bang’ idea」と揶揄したという。「bang」というのは、「バン(ドン、ドカン、ズドン、バタン)という音」であり、「ビッグバン」というのは、「大きな音=うるさい音」である。これが皮肉にも新しい理論の呼称「大爆発論」となった。

地質学者でロシア系アメリカ人会議の創立者の一人であるエヴゲニー・アレクサンドロフが2005年に米国とロシアで出版した伝記事典『北アメリカのロシア人たち』によると、ガモフは1904年2月20日(旧暦、新暦では3月4日)に帝政ロシアの黒海に面するオデッサで生まれた。本名はゲオルギー・アントノヴィッチ・ガモフ。ユダヤ系ロシア人である。ガモフはソビエト時代の1922年にペトログラード大学に入学し、同時に気象観測所で働いた。ガモフは在学中にアレクサンドル・フリードマンの講義を聴き、大きな感銘をうけたといわれている。ガモフはレーニンの死後にレニングラード大学と改名された同大学を1925年に卒業し、大学院に席をおいた。

ガモフは1931年に母校レニングラード大学の助教授となった。彼はそのころのソビエト社会の雰囲気に嫌気がさし、ソビエト体制への批判を強め、外国への出張が制限されるようになった。ガモフは妻とともに3回非合法に出国を企てたが、失敗した。ガモフは1933年10月にベルギーの首都ブリュッセルで開かれた会議にソビエト政府が派遣した代表団の一員となった。当時首相であったモロトフは余人をもって代え難い学術秘書としてガモフの妻の出国を許可した。会議終了後にガモフは帰国を拒否し、パリ、ケンブリッジ、コペンハーゲンなどで講義した。1934年に米国へ移住し、ジョージ・ワシントン大学教授に就任、英語風にGeorge Gamowと称した。

ガモフは1940年に『太陽の誕生と死(The Birth and Death of the Sun)』(1945年第2版)を出版し、1941年に『地球と呼ばれる惑星(A Planet called Earth)(邦訳:地球の伝記)』(1947年第2版、1950年第3版、1963年第4版)、1952年に『宇宙の創造(The Creation of the Universe)』を出している。これらの書をガモフ自身が三部作と呼んでいる。さらに、1964年に『太陽と呼ばれる星(A Star called the Sun)(邦訳:続・太陽の誕生と死)』を上梓した。

ビッグバン論というのは、http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/ESU_U_B1.html; http://www2u.biglobe.ne.jp/~rachi/uni_st.htm; http://homepage3.nifty.com/iromono/kougi/ningen/node85.html などによると、次のようなものである。

宇宙の始まりはサッカーボールくらいの大きさだった。始源的な物質が圧縮されて高温となり、自然に爆発し、火の玉となり、次々と連鎖反応を起こして大爆発となり、膨張し、その膨張の過程で素粒子がつくられ、原子核が形成され、原子となり、銀河が生まれ、星が誕生し、宇宙のさまざまな構造が形成された。その膨張の速度と範囲を測定し、逆算すると、最初の爆発が起こった時期を推定することができる。それは137億年前であったという。つまり、137億年前の大爆発によって宇宙は誕生したということになる。

この種の数字は概数として理解すべきである。宇宙の始まりは150億年前から130億年前くらいと考えておけば良い。

ガモフは『宇宙の創造』で「この原子核料理のはじめの時代、それは1時間以上続かなかったに違いないが、その時代の宇宙のいたるところに存在した条件というものは、爆発しつつある原子爆弾の中心部に極めてよく似たものであった。」と書いている。彼は1945年の広島・長崎での原子爆弾の爆発を想起しながら、宇宙の始まりの大爆発の状況を書いている。原子爆弾の大爆発は核物理学者たちが宇宙の始まりをもたらした自然界の大爆発を人工的につくり出したものであった。

自然界の大爆発は宇宙の誕生をもたらしたが、人工的な大爆発は地球上の人間に大きな不幸をもたらした。

ガモフは「宇宙背景放射」の存在を予言していた。温度をもつ物質はすべて熱放射をしている。宇宙はかつて熱かったのだから、必ず熱放射をしているに違いないと。これを「宇宙背景放射」というが、その存在が1965年に確認された。「ビッグバン論」の正しさが確定したかにみえたが、http://www3.osk.3web.ne.jp/~redshift/index.htmlによると、「ビッグバン論」と「定常宇宙論」との論争はいまも続いている。さすがに定常宇宙論者もいまでは宇宙が神によってつくられたとは主張していない。

ガモフはその後、1956年にコロラド州立大学教授に転じ、1968年8月19日に64歳で亡くなった。ガモフは祖国ロシアで「アカデミー会員」として復活している。

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