訪中報告

中西 治

地球宇宙平和研究所の皆様

以下に簡単な訪中印象記を書きます。

今回の訪中でもっとも衝撃的であったのは南京大虐殺記念館でした。正式の名称は「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館」です。

この記念館は中国に侵攻した日本軍が中国人を人間と考えず、動物として扱い、大屠殺した場所の一つ「万人抗」の上に建てられています。完成したのは1985年8月15日ですが、完成後の1998年4月にもこの記念館の敷地からたくさんの遺骨が発見されています。

表面の土は取り払われていますが、いまも地中に遺骨が累々と横たわっています。私たちは二つの花束を捧げ、深く深く頭を垂れましたが、私たちを見る周囲の目は冷たいものでした。

私は1973年に初めてアメリカ合衆国を訪ねたときにジャップと言われましたが、このように冷ややか視線を感じたのは初めてでした。戦争は人間を畜生にします。私たちの父や兄が犯した罪の責めをいま私たちが受けているのです。

南京市内には大屠殺が行われた場所は合わせて17か所あり、屠殺された中国人の数は30万人に及ぶと言われています。この数をめぐって論議が行われていますが、その数がたとえ3万人であったとしても大屠殺にかわりはなく、その責任を免れることはできません。ましてや現にあった大屠殺をなかったとは言えないのです。

南京大屠殺が行われたときの日本軍の最高指導者が華中方面軍司令官松井石根大将であり、副参謀長が武藤章大佐です。この二人は後に極東国際軍事裁判でA級戦争犯罪人として裁かれ、絞首刑に処せられました。

この人々を神として崇めている靖国神社に日本の首相が行くことはこの人たちが行なったことは良かったと日本国が認めることになります。中国人はこれを絶対に認めません。立場をかえれば、このことはすぐ理解できるでしょう。

何よりも重要なのは、この大屠殺は日本軍が中国に侵攻して行なったことです。

私は今回の訪問中に東アジアの情勢と日中関係について湖南大学の学生諸君に講義し、多くの質問に答えました。また、復旦大学日本研究センターで報告し、同センターの同僚と論議しました。この席には上海に留学中の日本人学生が6人参加しました。

私の講義と報告の出発点は日中戦争が1931年9月18日の出来事(満州事変)で始まる日本の中国に対する侵略であったということです。

訪中に先立って書いた基調報告を別便で送ります。お読みいただければ幸いです。

なお、A級戦犯で絞首刑を宣告されたのは次の7人です。

東条 英機
土肥原 賢二
広田 弘毅
板垣 征四郎
木村 兵太郎
松井 石根
武藤 章

松井石根に対する訴因は「捕虜と一般抑留者に関する規則の実施をおこたったこと」、武藤章に対する訴因は「中国に対して侵略戦争をおこなったこと」、「通常の戦争犯罪の遂行を命令し、授権し、許可したこと」、「捕虜と一般抑留者に関する規則の実施をおこたったこと」などです。

他に、荒木貞夫、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、星野直樹、賀屋興宣、木戸幸一、小磯国昭、南次郎、岡敬純、大島浩、佐藤賢了、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、梅津美治郎、鈴木貞一など16人が終身の禁固刑、東郷茂徳が20年の禁固刑、重光葵が7年の禁固刑です。