7. 人間の評価を最終的に決めるのは行動である ―私の人生哲学

中西 治

人間は一人では生きられない。一人の人間がこの世に生をうけるためには一組の男女が必要である。生まれたばかりの赤ん坊は誰かが乳を飲ませなければならない。多くは母親である。人間が一人で生きていけるようになるためには何年もの歳月が必要である。保護者が不可欠である。採取・狩猟の時代には家族内の助け合い、一族の協力が必要である。個人的な好き嫌いがあり、諍いもあったであろうが、人間は厳しい自然のなかで久しいあいだ他の人々との助け合いと協力によって生き抜いてきた。

人間のあいだで、また、人間の集団のあいだで本格的に争いが生じ始めたのは、農作と飼育によって食料が作られ、余剰食料が蓄積され、人間のあいだで、また、人間の集団のあいだで貧富の格差が生じ、支配する者と支配される者、支配する集団と支配される集団が生じてからである。

人間は動物である。食べないと生きていかれない。人間は他の動植物の命をもらって生きている。人間は食べられなくなると、人から食べ物を奪い、自分は生き抜こうとすることがある。革命はある地域の支配されている人々が、その地域の体制のもとでは食べていかれず、生きていけなくなったときに支配している人々に対しておこなう集団的行動である。戦争は地域間の利害の対立を武力によって解決しようとする地域集団間の行動である。戦争は人間を他人の命を奪う獰猛な動物にするが、我が身を犠牲にして他の人を救おうとする崇高な神にもする。人間は動物と神とのあいだを彷徨っている。革命や戦争はこれまで国の内外の矛盾を平和的に解決できないときに暴力的に一挙に解決する最後の手段として認められてきた。しかし、いまではそれがもたらす人的・物的被害があまりにも大きいために矛盾の平和的解決が至上の課題となっている。

人間の争いや革命や戦争を無くすためにはまず人間が食べられ、生きられるようにしなければならない。人間には良い面もあれば、悪い面もある。100%良い人も、100%悪い人もいない。同じ人間が環境によって良い人になるし、悪い人にもなる。人間は環境の動物である。同時に、人間は意志を持つ動物でもある。存在が意識を決定するし、意識が存在を決定する。最終的な決断をくだすのは人間の意志である。それをもたらすのは家庭・学校・社会での教育である。意志を表すのは言葉と文と行動である。

「綸言汗の如し」という。「綸」とは「組み糸」のことである。「綸言」とは「天子の言葉」である。天子が発する言葉は糸のように細いが、下に達したときは綸のように太くなることからきている。「綸言汗の如し」とは「君主の言葉は、汗のように、一度口から出れば、体内に戻らない。取り消せない。」という意味である。天子の言葉は重い。天子だけではなく、人間の発する言葉はすべて重い。書かれた言葉=文はいっそう重い。言葉と文以上に重要なのは行動である。いくら良いことを言い、良い文を書いても、行動がそれに反していれば、空しい。

人間の評価を最終的に決めるのは行動である。

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