5. 私以外の人はすべて師である ―私の人生哲学

中西 治

私は高校時代に社会科学研究部に属していた。1950年6月に朝鮮半島で戦争が始まった。当時、日本は米国をはじめとする連合国の占領下にあった。連合国軍最高司令官の命により日本で警察予備隊が創設され、日本は再軍備の道を歩み始めた。戦後の「民主化政策」が終わり、「逆コース」が始まった。私たちは戦争に反対し、再軍備に反対する声をあげた。占領軍は日本の警察を通じて学校当局に対して社会科学研究部の部員名簿を提出するように要求してきたという。

これに対してキリスト者の教員が職員会議の席で反対した。「イエスは弟子に売られたが、イエスは弟子を売らなかった。師たるものは弟子を売ってはならない」と。私はこのことを高校卒業後、大学生時代に知った。この先生は私が高校在学中よく私たちの活動を批判していた。それだけにいっそうこの先生の発言に深い感銘を受けた。人をある行為によってのみ評価してはならないことを学び、もし私が人から先生といわれるようになったときには、この先生のように振る舞おうと心に決めた。この決意はいまも変わっていない。

私はこれまでずいぶん多くの人と接してきた。その人々は老若男女を問わず皆、必ず私よりも優れたもの、私が学ぶべきものを持っている。私以外の人はすべて私にとって師である。人間は互いに学びあい、教えあう。教えることは学ぶことである。人間は互いに弟子であり、師である。弟子が師を批判するのを師は喜ばなければならない。弟子が成長した証拠である。師は弟子以上に努力し、成長しなければならない。尊敬は強制して得られるものではない。自然に生じるものである。

師とは学ぶべき人であり、乗り越えるべき人である。師を越えて、初めて師の恩に報いたことになる。

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