2. 「三代目は国を滅ぼしましたね」―私の人生哲学

中西 治

幼少年時代、私はもっぱら兄弟や近所の友だちとの相撲やチャンバラ、戦争ごっこなどに興じた。小学校に入ってからも自宅で勉強らしい勉強をしたことはなかった。それでも算数は比較的よくできた。算盤塾に通っていたので、算盤が頭の中に入っていた。算盤の時間には担任の先生に代わって教壇に立って算盤を教えていた。この先生は剣道も書道も良くできた文武ともに優れた教育熱心な方であった。夏休みには水泳指導、冬休みには剣道の寒稽古などをおこなった。私はこの先生から大きな影響をうけた。

先生は吉田松陰に心酔し、松下村塾の教育を模範とされていた。士規七則を教え、児童に暗記し、先生の前で暗唱するように指示された。私は早速、懸命に覚え、授業前の早朝、学校に行き、宿直明けの先生の前で暗唱した。「志を立てることを以て万事の源と為せ」、「交わるべき友を撰んで仁義の行いを輔けよ」、「書を読んで以て聖人賢者の訓えを考えよ」。志、友、仁義、書、聖賢。これが幼き日の私の出発点であった。身近にあった偉人の伝記を愛読し、歴史書を読んだ。

国民学校では紀元節や天長節などに校長が講堂で教育勅語を朗読し、全児童は黙祷しながら聴いた。校長は天皇を現人神と讃え、「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と教えた。昭和天皇は私の父より1歳下、皇太子(いまの天皇)は私より1歳下であったので、私は子供心に、天皇は父の弟、皇太子は私の弟のように思い、天皇を神、皇太子を神の子とは考えていなかった。このことを私はあるとき母に言った。母はそのことを外では絶対に言ってはならないと戒めたが、叱らなかった。

その母が1945年8月15日の玉音放送直後に「三代目は国を滅ぼしましたね」と父にひそひそと語っていた。これは驚きであった。私にとって昭和天皇は神武天皇以来124代目であったが、明治生まれの両親にとって昭和天皇は明治・大正に続く三代目であった。母のこの言葉が私の戦後思想への旅立ちとなった。両親よりもさらに一つ上の世代にとって敗戦は「公方様(将軍)」の天下から「天子様(天皇)」の天下、さらに「マック様(マッカーサー連合国軍最高司令官)」の天下への転換であった。

昭和天皇は「満州事変」のとき30歳、「真珠湾攻撃」のとき40歳、「玉音放送」のとき44歳であった。「40にして惑わず」というが、昭和天皇は40歳ではまだ迷っていた。敗戦という大きな失敗を経て、40歳代なかばにしてやっと迷いから抜け出し始めたようである。普通の人間はおおよそこの程度である。私もそうであった。

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