エッセイ 68 鉄道時間表と産業連関表

木村 英亮

暗闇をゴーゴーと走る地下鉄に乗ると、子どものころ、横揺れしながらゴットンゴットン走っていた電車を思い出す。

数年前東京駅の中央線ホームで、知り合いのグルジア人学者が、左右交互に長い電車が到着し、一斉に開くドアからはじき出される乗客が次々にエスカレーターに流れるのをじっと見つめているのを偶然見かけた。外国人でなくとも、東京のメトロの網の目のように密な路線を、十数輌連結した車両が、秒分の単位で組まれた時間表どおりに発着し、乗客がそれに合わせて乗り換え、最終目的駅に運ばれるのを見ると感嘆せざるをえない。高速の電車が走る鉄道線路は、平行し、分岐し、交差し、ターミナルで接続する。全国の鉄道では、人ばかりでなく貨物も、集積され、積み込まれ、積み替えられ、下ろされる。そのダイナミックなメカニズムはいくら眺めても見飽きない。

それは、原料・燃料が集められ、部品に加工され、組み立てられて製品となり、販売される財の流れを連想させる。社会主義経済では、これらの流れが計画によって統制される。列車のダイヤのように、財が、連関表にしたがって流れる。生産活動を個々の企業がばらばらに行うよりも、国民経済全体が、鉄道における時間表のような計画に従っておこなわれる方が、はるかに能率的で無駄がないであろうことは容易に分かる。

資本主義経済においても、一つの企業のなかでは、流れは計画されている。そのさい周辺の下請け業者は、「松下のカンバン方式」のように、「松下」の仕事に合わせて部品などを納入しなくてはならない。それは、新幹線の発着にあわせ、小支線の発着が決められるようなものである。