「東アジアを友愛の海に」「友愛の世界に」、「言や良し、実行あるのみ」 ―三つの会に参加して―

中西 治

このところフォーラムや講演会、シンポジウムなどが盛んに開かれています。きょうは最近参加した三つの会について報告します。

第一は、2010 年 3 月 10 日に東京霞が関ビルにある日本国際問題研究所で催された国際フォーラム「アジア太平洋地域の安全保障環境と米露関係」です。

報告者はロシアのモスクワにあるカーネギー・モスクワ・センター所長ドミトリー・トレーニンさんです。

彼は 1955 年生まれ、ソヴェト時代の 1977 年に軍事外国語大学を卒業、1978 年から 1983 年までドイツ駐留ソヴェト軍対外関係局に勤務、1983 年から 1993 年まで母校の軍事外国語大学で語学教育と地域研究に従事しています。この間、1984 年にモスクワのソヴェト科学アカデミー米国・カナダ研究所から博士号を授与され、米ソの核・宇宙兵器交渉にソヴェト代表団員として参加しています。

ソヴェト体制崩壊後は 1993 年から 1997 年までロシア科学アカデミー・ヨーロッパ研究所上席研究員となり、1993 年にローマの NATO 軍事大学上席研究員、1993 年から 1994 年にブリュッセルの自由大学客員教授を務めています。また、1993 年からカーネギー・モスクワ・センターにも関係し、2008 年 12 月からは所長です。

トレーニンさんはアジア問題を、モスクワからの視点として、主としてアフガニスタンやパキスタン、中央アジア諸国、モンゴル、中国、ネパール、インドなどの大陸部の情勢について論じました。最後に、ソヴェト外交とロシア外交の違い、ソヴェト・米国関係とロシア・米国関係の類似点と相違点について次のように語りました。

ロシア連邦はソヴェト同盟の継承国家であり、類似点もあるが、相違点の方が大きい。第一は、ソヴェト外交はイデオロギー的であったが、ロシア外交はプラグマティスト的である。第二は、ソヴェトは金銭をアジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国に無償援助として与えたが、ロシアは儲けるためにしか与えない。第三は、米国との関係は、ソヴェト時代はキューバ危機に見られるように、ともにグローバルな中心としての関係であったが、現在は人間的な関係である。

ロシア外交に夢がありません。ロマンがありません。これは無い物ねだりのようです。

第二は、3 月 12 日に東京麻布台の外務省外交史料館で催された講演会です。講師は慶應義塾大学の中国研究者、山田辰雄さん。山田さんとは若かりし頃に中ソ関係について共同研究をしました。何十年振りかの再会です。演題は「蒋介石と日本」でした。

蒋介石は 1887 年 10 月 31 日に中国浙江省奉化県渓口鎮に生まれ、1975 年 4 月 5 日に台湾で亡くなっています。享年 88 。 1905 年に日本を初めて訪問したのに続いて、1907 年に日本に留学し、1909 年に日本陸軍に勤務しました。この年 3 月 18 日に蒋介石に最初の妻とのあいだの長男・蒋経国が生まれました。この妻とは 1927 年に離婚し、同じ年に宋美齢と結婚しています。

1911 年に辛亥革命が始まると、ただちに日本軍を辞めて中国に帰り、革命に参加しました。 1923 年に蒋介石は孫文の指示でソヴェトを訪問し、軍制を調査しました。 1924 年に蒋介石はソヴェトの援助で設立された広州の黄埔軍官学校の校長となりました。 1925 年に蒋経国は中国の共産主義青年同盟と国民党に入り、党の決定により勉学のためにモスクワに派遣されました。第一次国共合作の時でした。中国の若者にとってソヴェトはあこがれの地でした。蒋経国は 1926 年にソヴェトの共産主義青年同盟に入り、1929 年に共産党員候補となり、1930 年にロシア人女性と結婚、1937 年に蒋介石に呼ばれて妻とともに一人息子を連れて中国に帰国しました。この間、蒋介石は 1926 年に北伐を開始、1927 年に上海クーデターを起こし、中国共産党を弾圧、南京に国民政府を樹立しました。その後は下野と復活を繰り返し、1936 年の西安事件を経て、1937 年に第二次国共合作に至りました。この時期に蒋介石は長男一家を中国に呼び寄せたのです。蒋介石は 1945 年に日本との戦争に勝利しましたが、1949 年に中国共産党との戦争に敗れ、台湾に逃れ、その地で生涯を終えました。蒋介石の一生は波瀾万丈、毀誉褒貶にみちています。評者の政治的立場によって、その評価は極端に分かれています。

山田さんはきわめて学問的に蒋介石の政治行動を近代中国史のなかに位置づけました。山田さんは蒋介石が語った「自分の生涯の革命の意志と精神が今日このように堅忍であり、すべてのことを恐れないでいるのは日本での 1 年間の兵士の生活の影響である」という言葉を紹介し、蒋介石の日本観は愛憎の混じったものであったとしています。山田さんは大陸中国でも、台湾でも蒋介石を客観的に研究することが可能になってきていると指摘しました。スターリンは 1879 年生まれ、蒋介石は 1887 年生まれ、毛沢東は 1893 年生まれでしたが、この 3 人の人間とその関係を分析するのも面白いテーマでしょう。

第三は、3 月 17 日に東京のグランドプリンスホテル赤坂でおこなわれた公開シンポジウム「東アジア共同体の構築を目指して」です。冒頭に内閣総理大臣鳩山由紀夫さんが挨拶しました。私はかつて一度鳩山さんと話したことがありますが、総理になられてから話しを直接聞くのは初めてです。鳩山さんは概ね次のような演説をしました。

私はビジョンを語る。国と地方を同格にしたい。政府と NPO を同格にしたい。民に大きな機会を与えたい。東アジア共同体を積極的に進めたい。スピード感をもって進めるのは大変であるが、新たな日本を築き、日本を東アジアに、世界に広く押し出したい。

東アジア共同体は日米同盟・日米安保を基礎に進めたい。そのことによって東アジア諸国も安心する。長期的に柔軟性をもって ASEAN+3、ASEAN+6、日中韓首脳会談などの各組織を連携させる。透明性、開放性を維持する。この地域が命を大切にするようにしたい。二度とふたたび戦争をしないようにしたい。経済的連携を強化する。自由貿易協定を推進したい。農業などに懸念があるが、この懸念を努力して解消したい。環境問題でも地球を惨めなものにしないために協力したい。中国に対しても友愛を提起する。東アジアを友愛の海にしたい。 EU も石炭鉄鋼共同体から始まり、石炭鉄鋼をめぐる戦争を阻止するための不戦共同体として創設された。友愛の世界にしたい。友愛の災害救助、これには NPO とともに自衛隊も参加する。介護のためにフィリピンやタイなどから日本に来ている人々から日本語の難しさの障壁を取り除きたい。教育の面では単位互換制などを実施したい。日中韓の協力を東アジアに拡大し、さらにアジア太平洋に広げたい。日本国民が心を閉じてしまってはうまくいかない。心の壁をとりのぞき、開かれた国益を求める。

鳩山演説は概して参加者の共感を呼び、好評でした。友愛の災害救助に自衛隊は武器を必要としないでしょう。邪魔でしょう。たくさんの人が亡くなったところに救助に行って、たとえ一人でも傷つけ殺めたとしたら、何千倍、何万倍もの恨みをかうでしょう。災害救助は危険をともなうものです。それを厭うならば、最初から行かなければよいのです。災害時に一番有り難いのは水と食料です。

討論では日本のアジア経済研究所所長白石隆さんがヨーロッパ・モデルはアジアでは機能しないのではないかと言いました。中国の台頭が話題になりました。中国の北京国際関係学院副院長王逸負さんが発言しました。鳩山演説は素晴らしい。中国はまだ内向きであり、国内問題が中心である。中国は新参者であり、学習の過程にある。中国は ASEAN だけではなく、日本、韓国、ロシア、モンゴルとも協力を拡大したい。中国はすでに ASEAN と自由貿易協定を結んでいるが、朝鮮とも自由貿易協定を締結したい。米国のカリフォルニア大学バークレー校教授ペンペルさんは日本の本屋には中国・朝鮮脅威論が溢れているが、これはパラノイア (偏執病) 的であると言いました。韓国の世宋財団理事長孔魯明さんは、核問題が解決したあと六者協議をグローバル・コリアの地域的なサブ安全保障システムにしたい、と述べ、鳩山ビジョンは具体策がないと指摘しました。

日本での東アジア共同体論議に欠けているのは朝鮮問題です。朝鮮が不安定要因であると言いながら、それを積極的に解決する方策について論じていません。中国と韓国はすでに南北朝鮮の統一を視野に入れています。朝鮮以外の地域ではすでに密接な相互依存のもとに協力が進んでおり、実質的に共同体を形成しています。だから、あえて EU のような制度を作る必要はないとの考えが強いのです。

東アジア共同体は ASEAN が ASEAN+3、ASEAN+6 などを経て、アジア太平洋不戦平和友好協力共同体へと向かう道での一里塚でしょう。 EU をはじめとする地球上の各地域の人々の努力が実って、いずれ地球社会全体が地球不戦平和友好協力共同体になるでしょう。

私は鳩山さんが「東アジアを友愛の海に」「友愛の世界に」というビジョンを語ったことを喜んでいます。一国の首相はかくあるべきです。「言や良し、実行あるのみ」です。