自省としての「戦後」

わたなべ ひろし

以前、当研究所のニューズレターで紹介しましたが、小説家の村上春樹氏がイスラエルの「エルサレム文学賞」を受賞した際、彼が受賞スピーチで語ったことは自身の父親と戦争についての記憶でした。

「私の父は昨年、90 歳で死にました。父は引退した教師で、パートタイムの僧侶でした。京都の大学院生だったときに父は徴兵されて、中国の戦場に送られました。戦後生まれの子どもである私は、父が朝食前に家の小さな仏壇の前で、長く、深い思いを込めて読経する姿をよく見ました。

ある時、私は父になぜ祈るのかを尋ねました。戦場で死んだ人々のために祈っているのだと父は私に教えました。父は、すべての死者のために、敵であろうと味方であろうと変わりなく祈っていました。父が仏壇の前に座して祈っている姿を見ているときに、私は父のまわりに死の影が漂っているのを感じたように思います。」

村上氏はこれを「私が父について話すことのできるわずかな、そしてもっとも重要なことの一つです」と述べています。

世界的に有名な日本のトップクラスの小説家が、長年他国に対して侵略行為を行ってきた国から文学賞を受け、その受賞スピーチにおいて語ったことが自身の戦争についての経験であった (もっとも村上さんは 1949 年生まれで、ご自身が戦争体験を有しているわけではありませんが) ということ。こういうシチュエーションにおいて、日本人が外国の人たちに向けて届く言葉があるとしたら、やっぱりそれはあの戦争に関する体験についてのものであるのだなあと、いまさらながら痛感させられました。そしてこのことに僕は日本の「戦後」の本質を見たような気がしました。

8 月 15 日「恒例」である中西治理事長のメーリングリスト、「1945 (昭和 20) 年 8 月 15 日を振り返って」読ませていただきました。

「私は戦争と平和の連鎖を断ち切り、平和に徹さなければならないと思っています。それができるのは「学」であり、「知」です。学ぶことによって戦争を知り、戦争を始めさせないことができます。」全くその通りだと思います。おっしゃるように、「いずれ、あの戦争を知っている日本人はいなくな」るのであり、 物理的にはそこで「戦争体験」というものは断絶することになります。それを継承していけるとしたら、「あの戦争」を知らない世代が主体的に学び、知り、伝えていくことしかありません。そしてそこにこそ、単なる体験の伝達ではなく、その時代時代の平和に向けて最も必要とされる形での「戦争体験」の発展的継承があるのだと思います。

戦後、私たち日本人はそうやって戦争体験を問い返し、深めてきました。そしてその核心は、「戦争体験」の「自省」ということ、つまり戦争体験を、「自己への問い」として捉え返すというものであったと思います※。それは、直接の戦争体験 (戦場体験) を持たない戦後生まれの人たちも含め、自分自身の問題として戦争体験というものを考えてきたということです。

これは「戦後」において非常に特徴的なことであったと思います。

変な言い方になりますが、「戦争体験」というものは、総力戦、世界戦争、戦争の世紀等々と呼ばれた 20 世紀以降、人類にとっての「共通言語」みたいなものになったのではないかと考えています (非常に残念なことですが)。ただしそれはもちろん「武器についてとくとくと語り、戦争論に花を咲かせ、戦略論をぶ」ることなどではありません。

日本国内においては戦争体験者は少数となりましたが、世界的に見れば戦争体験者は多数に上るでしょう。そういう人たちに、私たち日本人の言葉で届くものがあるとするならば、それは自省を通して「戦後」深められてきた戦争体験についての言葉しかないでしょう。そしてさまざまな戦争や紛争が、今後ますます前面化していくように見える、つまり「戦争体験者」が今後も増えていくことが予想される (非常に残念なことですが) 現在の国際社会において、世界中の人たちが自省を通して自身の戦争体験を深めていくことだけが、世界平和に向けての唯一の可能性であると私は確信しています。

日本の「戦後」は、わずかながらでもこのことを証明しているのではないでしょうか。

※この文章を書くにあたり、福間良明『「戦争体験」の戦後史』を参照しました。