エッセイ 44 大学生活さようなら

木村 英亮

外務省にいた佐藤 優は、『国家の罠』(新潮社、2005)で、大学教授は嫌な奴らでもう極力付き合いたくない(265-266ページ)、と書いている。私は、50年以上前大学の門をくぐって、外の世界にまったく出なかったので、大学教授が役人や会社員と比べてとくに嫌な奴らかどうか比べられない。

ともあれ私は、2006年3月31日に九段校舎で辞令をもらって、二松学舎大学を定年退職し、大学での生活にピリオドを打った。同時に退職するのは、国際政治経済学部4名、文学部3名で、25日の九段会館での卒業式直後、壇上で女性職員から花束をいただいた。この日は12時から九段校舎の 教室で、私のゼミの卒業生27名(男性13名、女性14名)に卒業証書を渡したので、その時、花束をばらして女性にはバラなどを一輪ずつ渡すことができた。この最後のゼミの学生とは、2時から帝国ホテルで開かれた父母会主催のパーティで、集合写真をとったりして別れた。専門学校でもう少し勉強するという 1人を除き26人は就職が決まっている。健康で仕事のうえでエキスパートになれるよう祈りたい。

教員には、10日の学部教授会、18日の研究科委員会、16日の全学のパーティで挨拶した。パーティで大きな花束と金一封をもらった が、カサブランカは家で1週間以上強い香りを放っていた。29日には6年間使用した柏の研究室の掃除をして鍵を返し、柏への通勤は終わった。 教員や学生から、4月からどうするのかと聞かれたが、長い夏休みのような生活ということになるのであろう。

二松学舎大学は、2年前、定年を70歳から65歳とし、その年の新規採用者から適用されている。いま、年配の研究者は、基本給が少なく 1年雇用の特任教授として採用するところが多くなった。大学院設置のため横浜国立大学から定年1年前64歳でこちらに移れた私は恵まれていたというべきで あろう。在任中に、九段校舎が高層の建物に改築され、国際政治経済学部3,4年と新設された大学院の一部も柏キャンパスから移された。今後、地の利と小規模大学としてのメリットを生かしたいっそうの発展が期待される。