1945 (昭和 20) 年 8 月 15 日を振り返って

中西 治

1945 (昭和 20) 年 8 月 15 日正午にポツダム宣言受諾の昭和天皇の放送を疎開先の奈良県宇智郡五条町の隣組長さんの家で聞きました。私は 12 歳、五条中学校 1 年生でした。放送の前に天皇はきっと本土決戦では死ぬまで戦えと言うと私は思っていました。

ラジオは雑音ばかりで初めて聞く天皇の言葉は私には分かりませんでした。大人は分かっていたようでした。近所の人が無条件降伏ではなく、ポツダム宣言受諾だから良かったと言っていたようですが、帰宅後、たまたま大阪から奈良に来ていた父はポツダム宣言受諾というのは無条件降伏だと言っていました。私は一人でも戦うつもりでした。

そのあと、両親は隣の部屋でひそひそ話をしていました。そのときに母が小さな声で「三代目は国を滅ぼしましたね」と父に言っていました。それに父がどう答えたか聞こえませんでした。

これは私には大変なショックでした。昭和天皇は私には神武天皇以来 124 代目でした。それが明治生まれの両親にとっては明治・大正・昭和の三代目だったのです。これが私の天皇制観の変わり始めでした。

もっとも私は小学生の頃から一度も天皇を神と思ったことはありませんでした。それは幼い単純な理由からでした。昭和天皇は父より 1 歳下、皇太子 (いまの天皇) は私より 1 歳下。どうして年下の人が神様なのか納得できませんでした。戦前に、このことを母に言って、母からそのようなことは絶対に外では言わないようにと戒められました。

1945 年 8 月 15 日夜、日が暮れても屋内の電気の光りが外へ漏れるのを心配しなくても良いと知って、やっと、戦争が終わったことを実感しました。ほっとしました。良く眠れました。朝になったら、もう戦うつもりはなくなっていました。

私にとって戦争体験は、五条で米軍機の機銃掃射を一度受けたこと、大阪大空襲の翌日に母とともに大阪の焼け跡をとぼとぼと歩いたことくらいでした。戦争の苦しみは戦後にきました。食糧難です。

戦後、天皇の権威はあっという間に地に落ち、神は人間になりました。人間は良いこともすれば、悪いこともします。私はいかなる個人も、いかなる思想も絶対化しなくなりました。

戦争は人間の狂気の沙汰です。戦争は個人的には何の恨みもない人間と人間のもっとも愚かな、残酷な殺し合いです。戦争は原子爆弾を含めて持っているすべての兵器を使わないとやめられません。

私は学生に戦争が起これば、逃げろと教えてきました。いまもそう言っています。竹槍で B-29 爆撃機は落とせませんでした。アマチュアがプロの殺しの専門家に勝てるわけはないのです。無駄死にです。

いずれ、あの戦争を知っている日本人はいなくなります。大きな戦争の後には必ず平和の機運が高まり、平和な時代がきます。それが少し過ぎると、また戦争の時代が来ます。戦争を知らない人が戦争と平和の問題を決めるようになるからです。

武器についてとくとくと語り、戦争論に花を咲かせ、戦略論をぶっている人がいます。核ミサイル兵器の所有とその先制使用を認め、相手国の基地を事前に攻撃すべきだと主張する人もいます。それは戦争です。

私は戦争と平和の連鎖を断ち切り、平和に徹しなければならないと思っています。それができるのは「学」であり、「知」です。学ぶことによって戦争を知り、戦争を始めさせないことができます。

8 月 15 日にあたって、改めて学び、知り、伝えることの重要性を強く感じています。

2009 年 8 月 15 日午前 4 時