ネパール情勢: プラチャンダ首相辞任について

植木 竜司

ガネシュ・ヨンザン・タマン駐日ネパール大使は2009年4月18日の講演で,「新国家建設の努力」としてピース・プロセス下での団結の重要性,特に政党間協力を少なくとも10年は続ける必要があることを述べられていました(5月1日「駐日ネパール大使の講演を聞いて」)。

それから2週間あまりたった5月4日,プラチャンダ(プスパ・カマル・ダハル) 首相が国民向けのテレビ演説を行い,辞任を表明しました。

これは陸軍参謀長解任問題に端を発したものでした。

プラチャンダ政権は昨年4月10日の制憲議会選挙の結果を受けて発足したものでした。この選挙では制憲議会601議席のうち,229議席をネパール共産党マオイスト(以下,マオイスト)が獲得し第一党に,第二党は115議席でネパール・コングレス党(以下,コングレス),108議席でネパール共産党統一マルクス・レーニン主義(以下,UML),54議席でマデシ人権フォーラムと続きました。その後5月28日に開かれた制憲議会で,立憲君主制を廃止し連邦共和制に移行することが圧倒的多数で決議されました。君主制廃止に伴い国家元首として大統領を新設,制憲議会で大統領選挙が行われましたがマオイストは多数派工作に失敗し,7月21日に決選投票で議会第二政党コングレスの幹部ラム・バラン・ヤダブ氏が選出されました。8月15日,制憲議会は今度はマオイストのプラチャンダ書記長を首相に選出し,マオイスト,UML,マデシ人権フォーラムによる連立政権が発足しました。

制憲議会の目的はもちろん新憲法の制定であり新国家の形作りなわけですが,和平プロセス開始時より最も難しい問題とされてきたのが,人民戦争で交戦をしていた国軍とマオイストの人民解放軍の「統合問題」でした。

マオイストは1996年に武装蜂起し約10年にわたるゲリラ戦を行ってきたのですが,その軍事組織が人民解放軍です。2001年8月マオイストの軍隊として正式に発足,同年11月にはそれまで交戦をさけてきた国軍に攻撃を行い,それをきっかけに非常事態宣言,国軍投入となりました。その後2005年9月にマオイストが一方的停戦を宣言するまで断続的に交戦を繰り返していました。2006年,政府とマオイストの間で「包括的和平協定」が調印され,国連ネパール支援団(以下,UNMIN)が両軍の停戦を監視しています。UNMINに登録された人民解放軍の人数は2万人でした。しかしプラチャンダ首相辞任の翌日に“流出した”ビデオでは2008年1月にプラチャンダ氏が人民解放軍メンバーらに対して「人民解放軍の規模は4000-8000人」と明言しております。

今回起きた首相辞任劇は,この人民解放軍を国軍に統合するというマオイストの主張に公然と反対していたネパール国軍制服組のトップ,ルークマングド・カトワル参謀長の人事をめぐって起こりました。プラチャンダ首相は5月3日「新兵採用や軍幹部の人事をめぐりカトワル参謀長が政府の指示に背いた」として参謀長の解任を決めました。しかし連立を組むUMLやマデシ人権フォーラムが政府の決定は,連立政権の合意を欠くものだとして連立政権からの離脱を表明。そしてヤダブ大統領が「解任は憲法違反」としカトワル氏のポスト留任を命令しました。これに対し「大統領の違憲で非民主的」と大統領を批判し,プラチャンダ氏は首相職を辞任しました。

私は今回の問題について,以下の感想を持っています。

第一に,王制を廃止して「セレモニアル」の大統領を新設したにもかかわらず,現大統領は政治に関わり過ぎなのではないかということです。今回の参謀長解任劇においてマオイストは,連立を組むUMLやマデシ人権フォーラムの支持を取り付けないまま解任を強行に進めたことなど,そのプロセスは多分に問題があるものでした。しかし,現憲法下において大統領に今回のような軍人事を決定する権限があったかは,非常に疑問が残るところです。参謀長の「解任権」については現行の暫定憲法には記載がありません。大統領は「セレモニアル」のはずですが,暫定憲法には「軍の最高指揮官(内閣の助言により指揮)」「非常事態の宣言(内閣の助言により宣言)」という,1990年憲法下の国王と“同様”の権限が記載されております。「内閣の助言により」とのことですが,この文言も1990年憲法には記載されており,にもかかわらずギャネンドラ国王は「直接統治」まで行ったわけです。そのため現行憲法の文言にはギャネンドラ国王と“同様”に大統領にも「大権」を発令する可能性が見え隠れしています。

第二に,2006年,当時直接統治を行っていたギャネンドラ国王に抗議し,マオイストと主要7政党によって大規模な「民主化運動(人民運動)」が起き,その結果王制は廃止に追い込まれたわけですが,その時点で「国軍改革」着手まで運動を推し進めるべきであったということです。国軍は実際は政府軍ではなく「国王」軍であったのであり,最高司令官であった国王のみその位を剥奪し,その権力の源泉であった軍隊はそのまま残したことには,疑問を持っていました。マオイストは,「国軍=国王」であり国王の直接統治の源泉は軍であるということを国民に説明し,民主化運動に乗じて「国軍改革」にも着手すべきでした。しかしマオイストは国軍の抵抗やクーデターを恐れたのか,人民解放軍を国軍に統合することしか考えていなかったためか,そこまでは行いませんでした。私は,確かに国軍が抵抗する可能性はゼロではなかったし,国軍が本気で抵抗した場合ネパールが危機的な状況になったであろうとは思いますが,約240年続いた王制を崩壊させた「人民運動」に参加した人々の支持とパワーがあれば,国軍は抵抗できなかったし,「国軍改革」は実現可能であったのではないかと考えています。

ヤダブ大統領は10日午後声明を発表し,憲法に基づき制憲議会に新首相を選出させ,多数派による連立政権を樹立するよう要求しました。新しい連立政権に向けて、UMLが主導する新政権にコングレスが参加することで調整が進められていますが,大統領の「参謀長留任の指示」撤回がなければマオイストは議会の進行を妨害すると見られております。私は,もし新政権が発足しても議会第一党であるマオイスト抜きでは,すぐに行き詰まると思っています。