エッセイ48 沈黙の春

木村 英亮

これは1962年にレイチェル・カーソンがアメリカで出版した、環境問題についての先駆的な本の題名である。

少し前まで、春の夜は、コマドリ、 ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で明けた。しかし、いま野原、森、沼地は黙りこくっており、沈黙の春である。これは、1945年前後からつくり出された 塩基性の化学薬品によって生物が絶滅したためである。汚染が進めば、「植物、動物の組織のなかに、有害な物質が蓄積されてゆき、やがては生殖細胞をつきや ぶって、まさに遺伝をつかさどる部分を破壊し、変化させる。未来の世界の姿はひとえにこの部分にかかっているというのに」(青樹簗一訳『沈黙の春』、新潮文庫、18ページ)。

その後の50年、人びとはカーソンの警告を聞くことなく、化学薬品による自然の汚染は格段に進んだ。健全な自然は、多様性の維持によって 成り立つのに、人間に都合の悪いものは、毒草、害虫として、化学薬品によって絶滅させられる。これによって、自然界につくりあげられてきたバランスは破壊 され、取り返しのつかない事態が生じつつある。

いまアメリカの牛肉の輸入が問題になっている。狂牛病は、肉骨粉を飼料とし、牛に共食いさせていることが原因である。鶏は一生狭いケー ジのなかで卵を産まされている。卵の中に血がまじっていることがあると聞くが、不思議ではない。なんということをするのであろうか。牛や鶏からすれば、人 間はすべて人でなしである。人間が動物に対しておこなっているこのような仕打ちは、やがて人間にも向けられるのではなかろうか。実際すでにヴェトナムで も、いまイラクでも、化学薬品や核物質は、兵器として大量に使用されている。恐るべきことである。

人類に最後の審判が下るのは、それほど先のことではないであろう。