裁判員制度と死刑について

中西 治

一昨日、 2009 年 2 月 27 日に下記の講座に参加しました。

現代アメリカ基礎講座第 46 回
『いよいよ始まる裁判員制度:米国の陪審員制度を視察して』
◆日 時: 2009 年 2 月 27 日 (金) 17:30-19:30
◆場 所: 東京アメリカンセンター・ホール (港区赤坂 1-1-14 NOF 溜池ビル 8 階)

◆パネリスト:
ダニエル・フット (Daniel Foote, 東京大学法学部教授)
伊藤 完司氏 (西日本新聞社)
田中 史生氏 (読売新聞社)
寺田 有美子氏 (弁護士法人 大阪パブリック法律事務所)

時宜に適した有意義な会合でした。報告者と質問者の発言に触発されて、裁判員制度と死刑についての私の考えを書きます。

私は日本で裁判員制度が導入されることに賛成です。

人間は過ちを犯す動物です。裁判官も同様です。裁判官にできるだけ誤りを犯させないようにするのが、裁判員制度です。少数の裁判官で判決を下すよりも、より多くの裁判員が直接判決にかかわった方が、誤りを犯すことが少なくなるからです。

日本では裁判は支配者である「お上」がするものとされてきました。徳川幕藩体制のもとでは「武士」の代官所が「農工商」を裁きました。明治以降の天皇主権のもとでは「天皇の裁判所」が「臣民」を裁きました。判決は裁判官によってなされ、 臣民はこの判決に直接関与できませんでした。

第二次大戦後の国民主権のもとで司法が民主化されました。国民が最高裁判所の裁判官を直接審査するようになりました。裁判員制度の導入は日本の民主主義の一歩前進です。

1776 年の独立宣言以来、米国では人民が人民を裁くようになりました。陪審員制度は人民主権の一つの表れです。

人が人を裁くのですから、どのような制度になっても、誤った判決が下される恐れはあります。

これまでどれほどたくさんの人々が罪なく逮捕され、裁判にかけられ、有罪とされ、獄に繋がれてきたことでしょうか。どれだけの人が罪なく死刑となったことでしょうか。これは人ごとではありません。私たち自身の問題です。いつ降りかかるかも分かりません。

私は人が人を殺めることに反対です。それが刑事的犯罪によるものであろうと、思想的・政治的動機によるものであろうと、戦争によるものであろうとも、です。私は国家による殺人である死刑に反対です。

2008 年 1 月 1 日現在、あらゆる犯罪について死刑を廃止しているのは 91 か国、戦時の逃走と反逆罪では死刑を認めているが、それ以外では死刑を廃止しているのは 11 か国、過去 10 年間に死刑を執行していないのは 33 か国、過去 10 年間に死刑を執行したのは 62 か国です。それぞれの国の事情によって死刑制度がある国とない国があります。

近年、死刑を廃止する国は増えています。ヨーロッパ連合 (EU) は死刑制度の廃止を EU 加入の条件としています。米国でも 50 州のすべてで死刑が執行されているわけではありません。死刑制度を廃止するためには「殴られても殴り返さない」思想への転換が必要です。これは言うは易く、行うは難し、です。しかし、いずれすべての国で死刑制度はなくなるでしょう。

裁判員制度の導入が日本での死刑制度廃止への歩みを早めることを期待しています。