沖縄訪問団結団式に参加して

わたなべ ひろし

2月15日に八王子で行われた、研究所の沖縄訪問結団式を兼ねた研究会に参加した。報告者は会員の玉井秀樹さんと中西治理事長のお二人であった。

玉井さんの報告は、戦後における沖縄の米軍基地の問題を概観し、その上でどうしたら米軍基地を縮小、全面返還できるのかということを、沖縄に米軍基地を一方的に押しつけている日本人として、そして平和研究を専門とする者として(さらに当研究所の会員の一人として)、何よりも自分自身に問うという真摯なものであり、非常に共感することができた。

報告後の質疑応答の際、沖縄の米軍が出て行くかどうかは、まず何より米国の問題なのではないか、そして米軍にその意思が無い限り沖縄の基地はなくならないのではないかと質問すると、玉井さんからは、沖縄における米軍基地の存在は、米軍の意思というより、日本人(日本本土人)の思惑の結果ではないのかという答えが返ってきた。全くおっしゃる通り。僕も全面的に同意します。

ただ欲を言えば、玉井さんはこれまでの日本人による沖縄へのかかわり方に対して非常に批判的であったが(そして僕もそう思うが)、それでも沖縄における反基地闘争と、本土における平和と民主主義の為のさまざまな思想や運動は、戦後史の中でお互いに影響を与え合ってきた部分も少なからずあったのではないだろうか。その点を、それこそ日本人として、平和研究者として、(そして当研究所の会員として)玉井さんには明らかにしていただけたらと思いました。

中西理事長も、報告の中で沖縄戦に触れていた。

中西さんによれば、英国首相のチャーチルは、沖縄戦において戦火の中に次々と自身の命を投じていく沖縄のひとたちの姿を目の当たりにし、戦慄したというのである。そして彼は、こんな日本人相手に本土決戦など行えば、連合国軍兵士の死者が何十万人出るか分からないと恐怖し、ソ連の速やかな対日参戦を促したということであった。

僕は中西さんからこの話をお聞きして、沖縄戦の酷さがあの第二次大戦の終わり方や、戦後の国際体制構築に向けた指導者たちの様々な思惑などに大きな影響を与えていたことを知り、非常に納得するものがあった。ある本によれば、沖縄住民の4人に1人は沖縄戦で亡くなっているそうである。それ程多数の死というものが、歴史に対して何の影響も与えないなどということはあるはずが無いと思ったからである。

日本近現代史家である大江志乃夫氏は、日本の戦後史をまとめた著作を、沖縄戦の叙述から始めている。そして大江さんは次のように序章を結んでいる。

沖縄が切り捨てられたところから、戦後の日本国の歴史ははじめられている。……あくまで戦後の沖縄にこだわりつづける立場から、日本の激動の歴史にいどみたいと考えたのである。したがって、この[本書における]戦後は、八月一五日ではなく、六月二三日から始まる。

僕は学生時代に大江さんのこの文章を読んで、日本の「戦後」と沖縄の関係、同じ「日本国民」であっても「戦後」の意味は決して一様なものではないということを教えてもらった。

当研究所の沖縄初訪問が、実り多きものでありますよう祈っております。