エッセイ 49 シベリア抑留と日本人

木村 英亮

トルストイ、ドストエフスキ、チェーホフらロシア文学は、日本でよく読まれてきた。チャイコフスキーらのロシア音楽も好まれている。日本とロシア は、さまざまな点で大きく違っている。しかし、ロシアの文学や音楽が好まれているのは、なにか共通のところがあり、そこが日本人に訴えるのであろう。

戦後シベリアに抑留され、『極光のかげに』 を書いた高杉一郎は、「俺たちはまずなによりも人間であればいいわけだ。たとえば、君と俺はいまこうやって向かいあって坐っているが、これはつまり、ひと りの人間ともうひとりの人間が向かいあっているんで、ロシアの囚人と日本の俘虜が向きあってるんじゃない。そんな区別は、馬鹿や狂人のつくったうわ言さ」 (岩波文庫、1991,213ページ)というロシア人の言葉を書き留め、このスラヴ民族特有の人生哲学、人生のなかから滲みだしてきた思想が、民衆の日常 生活に溢れている、とコメントしている。

昨年私は、日本人抑留記を題材として千葉工業大学で話す機会があったが、「若い60万人もの男子日本人が生活と労働のなかで、同じよう に苦しい生活をしていたロシア人との交流のなかでえた心の底からの声は、今後の日ロ関係形成のひとつの基礎となり得るし、生かしていかねばならない」、と 結んだ(「日本人抑留記にみるロシア人」『二松学舎大学国際政経論集』第12号、2006.3,167ページ)。

シベリア抑留については、全8巻の体験記を刊行した高橋大造が実現すべきとして挙げた5つの課題、「根本原因の解明と抑留体験者への国 家補償の確立、さらには、不運にも望郷の念にこころを焦がしながら亡くなられた全戦友たちの霊をねんごろに弔うとともに、このような無惨な体験を再び繰り 返さないための歴史教育の確立と抑留生活の実態を伝えるための資料の保存」(『四十六年目の弔辞、極東シベリア墓参報告記』1993,190ページ)をこ こに記しておきたい。