新しい日朝関係を! ―韓国併合 98 周年に寄せて

中西 治

98 年前の 1910 (明治 43) 年 8 月 22 日に日本帝国と大韓帝国は「韓国併合に関する条約」に調印し、同月 29 日に公布しました。それ以降、1945 年 8 月 15 日に日本が第二次大戦で敗北するまで 35 年間、韓国は日本の植民地となりました。

この地は 1897 年に国号を「朝鮮」から「大韓」に改称していましたが、日本に併合されたあと、ふたたび「朝鮮」となりました。朝鮮 (朝の鮮やかな国) は古「朝鮮」以来の由緒ある名です。この名が日本の植民地支配によって汚されました。同時に、日本の支配に抵抗する誇り高い名になりました。

多くの朝鮮人が日本人に土地を奪われ、流浪の民となりました。鍋釜寝具などを男は背負い、女は頭に載せて、中国東北 (満州) やシベリア、日本へとさまよい出ました。私は幼い頃、大阪の川縁で食器を洗い、衣類を木の棒で叩きながら洗濯していた朝鮮人女性の姿を思い出しています。

1919 年 3 月 1 日正午にソウルのパゴダ公園に集まった学生たちが独立宣言を発表し、「独立万歳!」と叫び、街頭に出ました。数万の人々が参加する大規模なデモとなりました。「三・一万歳事件=三・一独立運動」の始まりです。 1917 年のロシア革命の成功が大きな影響を与えていました。

独立運動は瞬く間に朝鮮全土に拡がりました。参加者総数は 202 万 3098 人、死亡者 7509 人、負傷者 1 万 5961 人、逮捕者 4 万 6948 人と言われています。朝鮮での運動は 1919 年春のインドの反英不服従運動と中国の五・四運動を触発しました。

上海では同年 4 月 10 日に大韓民国臨時政府が組織されました。李承晩 (1875-1965 年) が大統領に推戴されましたが、1925 年に弾劾免職されました。

1920 年 10 月には朝鮮と中国東北との国境地帯で 3000 人の朝鮮独立軍が日本軍と戦い、大きな打撃を与えました。

1925 年に民族運動家の父とともに鴨緑江上流北岸の西間島 (にしかんとう) に移住した金日成 (1912-1994 年) は、1931 年の「満州事変」の勃発後、中国共産党に入党し、抗日遊撃隊で活躍し始めました。

1937 年に日中戦争が本格化し、太平洋戦争へと拡大するなかで、朝鮮人は強制的に日本に連れて来られ、炭坑や金属鉱山、建設現場、工場で働かされました。女性は女子愛国奉仕隊とか女子挺身隊として狩り出され、各地の戦線で従軍慰安婦にされました。「強制連行」です。

日本による要員の狩り出しは朝鮮だけではなく、台湾や中国大陸でもおこなわれました。日本・大蔵省の調査によっても、1939 年から 1945 年の敗戦までに日本内地に動員された朝鮮人労務者は 72 万 4727 人にのぼります。この他に日本軍要員として 14 万 5010 人が動員されています。

「我が身をつねって、人の痛さを知れ」ということわざがあります。人は他人から痛みをうけたとき、他人に与えた痛みについて思いをはせるべきです。

米国議会は 1988 年に、第二次大戦中の日系人の強制収容について謝罪決議を採択しました。 1993 年に、1893 年のハワイ王国の転覆 100 年にあたって、謝罪決議をしています。 2008 年 7 月 29 日に、米国下院は過去に米国でおこなわれていた奴隷制と黒人に対する人種差別政策について謝罪決議を採択しています。

過去のことは過去の人間のことであって、現在の人間に関係はない、と考える人がいます。そうではありません。現在の人間は、過去の人間の行動をどのように評価し、それにどう対処するのか、ということで過去と関わっています。日本人は過去の行動を大胆に反省する米国人に学ばなければなりません。

韓国併合はまだ完全に過去のことではありません。日本と朝鮮半島南部の大韓民国とのあいだでは、1965 年の日韓基本条約によって、一応、問題は処理され、国交は正常化されています。朝鮮半島北部の朝鮮民主主義人民共和国とのあいだでは、問題は解決されておらず、国交も開かれていません。さらに、「拉致」という新しい不幸な問題が起こっています。

朝鮮は 2008 年 7 月 24 日に東南アジア友好協力条約に加入しました。この条約は東南アジア諸国連合 (ASEAN) 10 か国と日本・中国・韓国などのアジア諸国だけではなく、ロシアやフランスなどのユーラシア・ヨーロッパ諸国も参加している不戦条約です。その数は 25 か国、人口は約 37 億人、地球人口の 57% に及びます。朝鮮は地球共同体の立派な構成員です。

北東アジアでいまもっとも不安定なのは日朝関係です。この関係の改善は、この地域の最重要課題です。この課題の解決なしには、北東アジアの平和と安定はありません。

日朝関係を改善するために、日本人がまず詫びるべきは詫び、正すべきは正さなければなりません。朝鮮人も詫びるべきは詫び、正すべきは正さなければなりません。

この点で 2002 年 9 月 17 日に小泉純一郎さんと金正日さんが発表した「日朝平壌宣言」はきわめて重要な意味をもっています。

この宣言で、日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明しました。

他方、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題について、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認しました。

両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認しました。

双方は、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することを約束し、すでに国交正常化交渉を再開しています。

日朝両国政府はすでに最初の重要な一歩を踏みだしました。あらゆる障害を乗り越えて、この道を歩み続け、国交正常化を実現しなければなりません。

私は韓国併合 100 年を迎える 2010 年までに日朝国交正常化を実現すべきであると考えています。南北朝鮮半島の統一もすでに始まっています。日朝国交正常化と南北朝鮮半島の統一はどちらが早いでしょうか。

今年 9 月の二度目の朝鮮訪問のさいに、私は朝鮮の友人たちと日朝関係と東アジアの平和について、率直に語り合おうと思っていました。しかし、諸般の事情により、今回の訪朝を延期することにしました。直接会って、話し合うことはできませんが、さまざまな方法で積極的に意見を交換し、新しい日朝関係をともにつくりだしたいと願っています。

2008 年 8 月 22 日
韓国併合 98 周年の日に。