斎藤眞さんのこと 川田侃さんのこと

中西 治

斎藤眞(さいとう まこと)さんが2008年1月16日に亡くなられました。86歳でした。

川田侃(かわた ただし)さんが2008年2月14日に亡くなられました。81歳でした。

斎藤さんの葬儀には学年末の仕事のために参列できませんでした。弔電を送りました。

川田さんの偲ぶ会が4月5日に上智大学で催されました。参加しました。

斎藤さんに初めてお会いしたのは1971年4月でした。日本国際問題研究所が、斎藤さんを主任として研究プロジェクト「現代国家における軍産関係」を組織し、それに参加させていただきました。このプロジェクトは1973年3月まで2年間、毎月1回定期的に会議を開き、その研究成果を1974年12月に『現代国家における軍産関係』として発表しました。私は論文「ソ連における軍・産・政関係」を寄せました。

この論文は難産でした。ソヴェトにも、日本にも、先行研究はありませんでした。斎藤さんの指導をうけながら悪戦苦闘しました。

私は1969年5月27日から7月11日までソヴェト、チェコスロヴァキア、ハンガリーを訪れました。私の最初の海外旅行でした。モスクワではパトリス・ルムンバ記念諸国民友好大学で1か月間の国際セミナーに参加しました。そのあとモスクワから汽車でプラハとブダペストを訪ね、ふたたびモスクワに戻り、日本に帰りました。1968年のチェコスロヴァキア事件後1年ほど経ていました。1969年3月には中ソ国境で武力衝突事件が起こっていました。

ソヴェトも日本と同じような多元的な社会である、ソヴェトの共産党は日本の自由民主党のような政党である、政権与党はどこでも同じである、と感じました。

1973年6月26日から8月18日まで米国、英国、フランス、西ベルリン、イタリアを訪れました。各国の国際関係研究者、とくに、ソヴェト研究者と懇談しました。ある米国の研究者は、米国に存在するものはすべてソヴェトにもある、軍産複合体も、と語りました。帰国後、やっと、前記の論文を書き始めました。

1974年8月20日から9月18日までふたたびソヴェトを訪ねました。論文を完成させました。

この間に斎藤さんからいろいろお教えを受けました。訪米の前にはご自宅まで伺いました。研究会のあと必ず新宿に繰り出しました。研究合宿をし、江ノ島にも行きました。江ノ島で昼間からサザエの壺焼きを食べながら、酒を飲んだことを思い出しています。

斎藤さんは大変気さくな方でした。気配りの行き届いた人でした。ユーモアのある人でした。私たちの研究仲間は斎藤さんを「マコちゃん」と呼んでいました。斎藤さんはそれに気軽に答えておられました。

あるとき合宿で私は「宗教者はもっと寛容でなければならない」と言いました。それを聞いていた斎藤さんは「中西さん、そうではないのですよ。宗教者は寛容ではないのです。自分の信じているものがもっとも良いと思わないと、宗教は信じられないのです」と言われました。なるほど、と思いました。

斎藤さんのご家族で不幸がありました。久しく過ぎたあと、ある会合で斎藤さんに「さすが先生のお人柄ですね」と申し上げました。斎藤さんは「皆さん、そのように言って下さるのですが、私の学問については何も言ってくれません」と笑っておられました。

斎藤さんと最後にお会いしたのは文化功労者になられた祝いの席でした。私は「次は文化勲章ですね。そのときは妻といっしょにお祝いに参ります」と申し上げました。斎藤さんは「いやいや、そのようなことはありません」と仰いました。文化勲章をもらわれたあと、お会いする機会はありませんでした。

斎藤眞さんは尊敬すべき知識人です。

川田さんの『国際関係概論』(東京大学出版会、1958年10月20日第1刷)は、私がこの学問を始めたときの唯一の教科書でした。それは現在でも必読の書です。古典です。川田さんはこの本のなかで次のように述べておられます。「国際関係論の研究において、なんらか結びつく利益があるとすれば、それは一国の利益ではなく、世界の利益、世界の平和でなければならない。」

私は、私の国際関係論についての著書で、川田さんのこの言葉を引用しています。

「汽車待つ間 不快なりけり 将校たちの笑い声の かかと耳うつ」は、第二次大戦中の東京高等学校時代の川田さんの文です。

川田さんは1944年10月に東京大学経済学部に入学、1945年3月12日に召集令状(赤紙)によって日本陸軍に陸軍二等兵として入隊し、日本の敗戦により翌1946年2月4日に陸軍一等兵として復員しています。この間に中国山東省青島に配属され、ここで侵略者・日本軍の軍規の乱れや略奪等の有様を目の当たりにし、呆然・自失たる思いに沈んだ、と後に書いておられます。

川田さんと私は1975年4月8日から22日まで中国をともに旅しました。川田さんの立ち居・振る舞い・発言はきわめて慎重でした。

日本平和学会の懇親会で私は川田さんに、日本平和学会での報告発表や論文はすこし難しすぎませんか、と言ったことがあります。川田さんは、平和学も学問だから、一定の学問的訓練をうけている必要がある、と言われました。私は、国際政治学ならば、それで良いが、平和学はそれでは駄目ではないでしょうか、平和は専門家だけでは維持・確立できないのですから、高度の内容を分かりやすく語らねば、と申し上げました。

川田さんの平和思想は本物です。揺れはありませんでした。

斎藤眞さんと川田侃さんの著作はこれからも末永く読まれるでしょう。

文とはありがたいものです。いつでもお会いできます。