スパイか、英雄か ―5人のキューバ人のこと―

中西 治

ことの起こりは 1998 年 6 月であった。

キューバ共和国当局はハバナを訪問していた米国の連邦捜査局 (FBI) 使節団に米国のフロリダ州マイアミで活動しているキューバ人反カストロ派諸集団のキューバ共和国に対する破壊活動についての資料を手渡した。米国当局は回答を約束した。

同年 9 月 12 日に FBI は「奇妙な回答」を寄せた。米国在住の反カストロ派ではなく、親カストロ派の 5 人のキューバ人をスパイ容疑で逮捕した。

2001 年 12 月 27 日にマイアミ地方裁判所は次のような判決を下した。

ヘラルド・エルナンデス・ノルデロ (Gerardo Hernandez Nordelo) に終身刑を 2 回とそれに加えて懲役 15 年。終身刑を 2 回とさらに懲役刑とは、なんとも奇怪な判決である。終身刑は 1 回で十分であるが、罪状ごとに刑期を認定すると、こういうことになる。彼は死んだあと、また生まれてきても、生まれた日から終身刑に服することになる。そのあと、また生まれてきても 15 年の懲役刑が待っている。彼は 1965 年 6 月 4 日にハバナで生まれ、 1989 年にキューバ共和国外務省国際関係大学を卒業し、国際政治関係で学位を取得している外交官である。

ラモン・ラバニーノ・サラサール (Ramon Labanino Salazar) に終身刑に加えて懲役 18 年。彼は 1963 年 6 月 9 日にハバナで生まれ、 1986 年にハバナ大学を卒業し、経済で学位を取得している。

アントニオ・ゲレロ・ロドリゲス (Antonio Guerrero Rodriquez) に終身刑に加えて懲役 10 年。彼は 1958 年 10 月 18 日にマイアミで生まれ、ソヴェト・ウクライナのキエフ工科大学を卒業し、空港建設技術で学位を取得している。

フェルナンド・ゴンザレス・リョルト (Fernando Gonzalez Llort) に懲役 19 年。彼は 1963 年 8 月 18 日にハバナで生まれ、 1987 年にキューバ共和国外務省国際関係大学を卒業し、国際政治関係で学位を取得している外交官である。

レネ・ゴンザレス・シェベレルト (Rene Gonzalez Sehwerert) に懲役 15 年。彼は彼の家族がバチスタ政権下のキューバから米国に亡命中の 1956 年 8 月 13 日にシカゴで生まれた。カストロ革命の成功後に帰国し、パイロットとフライト・インストラクターになった。彼の兄弟のロベルト・ゴンザレスは弁護士であり、レネをはじめ全員の釈放のために闘っている。

いずれも知識人である。キューバ共和国の人民権力全国会議 (国会) は、この判決の 2 日後の 2001 年 12 月 29 日に、臨時議会で 5 人にキューバ共和国英雄の名誉称号を与えた。

米国の裁判所も揺れている。アトランタ第 11 巡回裁判区控訴裁判所の 3 人の判事は、マイアミ地方裁判所の有罪判決を破棄する決定を下した。そのちょうど 1 年後の 2006 年 8 月 9 日に、同控訴裁判所は判事全員による法廷を開き、過半数により、この決定を却下した。 5 人はふたたび有罪に戻った。 5 人についての判決はまだ確定していない。

争点はどこにあるのか。

米国は 5 人を「スパイ罪」容疑で逮捕したが、起訴したのは、スパイ罪ではなく、スパイのための陰謀、「共謀罪」であった。もっとも重い判決をうけたヘラルド・エルナンデスには、公判中に殺人を謀議した容疑も追加された。その殺人事件とは、 1996 年 2 月 24 日にキューバ空軍機がキューバ領空を侵犯した反カストロ派のキューバ人組織「救出に向かう兄弟たち」の小型飛行機を撃墜した事件である。

キューバ側は、 5 人のキューバ人は米国の安全保障にかかわるようなスパイ行為をしていない、彼らがおこなったのは、革命キューバに対する破壊活動を繰り返していた反カストロ派についての情報の収集である、これは本来 FBI がすべきことである、と主張している。

フィデル・カストロは 2007 年 8 月 22 日に「帝国の異例な道義的敗北」と題する声明を発表した。「彼らとその家族の残酷で途方もない運命は、半世紀近くにわたり国連の最も基本的な基準と諸国民の主権を踏みにじり、キューバ国民に対してテロリズムを適用するというワシントン政府の背信の政策の結果である。」と。

私はこの事件について次のように考えている。

第一は、この事件は反カストロ派キューバ人集団が引き起こした 1961 年のヒロン海岸上陸事件、 1976 年のバルバドス海岸上空でのキューバ航空機爆破事件等々の一連の事件の延長線上にあり、その結果である。注目すべきは、このように多年にわたり重大な事件が展開するなかで、キューバと米国の警察当局が情報の交換をおこない、協力してきたことである。今回はうまくいかなかったが、これまでは一定の成果を上げてきたようである。キューバは FBI を信頼しすぎていたようである。

第二は、 5 人の経歴とこの事件についてのキューバ側の説明を読んで、彼らはキューバ当局の指示にもとづいてマイアミの反カストロ組織の情報収集にあたっていたと考えられる。キューバと米国とのあいだに正式の外交関係があれば、これらの調査は在米キューバ共和国大使館の仕事としておこなわれていたであろう。両国間には外交関係がないので、キューバはそれを内密におこない、しかも、その結果を FBI に教えていた。調査対象の組織に入り込み、見つかれば、殺されることは十分に予測される。 FBI が 5 人の逮捕前にマイアミのキューバ人反カストロ派に彼らのことを伝えなかったのは、 FBI の革命キューバに対するせめてもの配慮といえるかもしれない。

キューバから見れば、彼らは国のために命がけの活動に従事した英雄となる。米国から見れば、米国内の組織の重大な情報をさぐるスパイである。スパイと英雄は紙の裏表である。

第三は、 5 人にはいずれも重刑が言い渡されているが、それでも死刑は宣告されていない。これは 5 人を殺さないという意思表示である。米国の裁判官のあいだでもこの判決に対しては異論がある。米国とキューバのそれぞれの政治情勢が変化し、両国関係が改善されるならば、また、米国内外の世論がこの問題に強い関心をしめすならば、 5 人が解放される可能性はある。スパイ事件では両国関係の改善のためとか、スパイの相互釈放などにより勾留されている者が解放されるのは珍しいことではない。

1492 年にコロンブスがキューバに到達してから 500 年余、 1902 年にスペインの支配から脱してキューバ共和国として独立してから 100 年余、 1959 年にカストロ革命が成功してから間もなく 50 年。最初の 400 年間はスペインの植民地、次の 50 年間は米国の保護国、最後の 50 年間は米国からの完全独立のための闘いの日々。世界はとっくにキューバを独立国家として認めている。米国もそろそろこれを認めるべきときである。そこからキューバと米国の新しい時代が始まる。