キューバを訪ねて(1)「遠くて近い国」

中西 治

2008年2月25日から3月6日までキューバ共和国を初めて訪問しました。キューバは遠い国だと思っていました。キューバの人々も私たちをはるか遠い国からの客人として歓迎してくれます。彼らにとって日本は、大西洋のかなた、ヨーロッパ、アフリカの向こう、インド、中国の先、極東の国です。

実際は案外、近い国でした。成田からカナダのトロントまで飛行機で13時間、トロントからキューバの首都ハバナまで3時間半、日本から米国東海岸のボストン、ニューヨーク、ワシントンDCへ行くのとそう変わりません。

2月25日に雪のトロントで1泊したのち、26日午後2時前に初夏のような気候のキューバ共和国の首都ハバナのホセ・マルティ国際空港に降り立ちました。ただちに日本の円を現地通貨のペソに換えました。1万円=82.20兌換ペソです。私は外国に行ったとき、まず1万円を現地通貨に換え、現地通貨の値打ちを計ります。1兌換ペソはおよそ120円です。

出迎えの自動車で空港から新市街の中心にある革命広場に向かいました。自動車が多く、しかも、古いためか排気ガスの臭いが強く鼻につきます。革命広場の中央演壇に立ちました。フィデル・カストロがよく大演説をしたところです。かつては立ち入り禁止でしたが、いまはだれでも自由にここに立ち、石の椅子に座ることができます。座り心地はあまり良くありません。

演壇の後ろにはホセ・マルティの像とオベリスクが立ち、高い筒状のホセ・マルティ記念博物館があります。博物館では青年共産同盟の集会が開かれていました。最初に国歌の斉唱があり、若い女性が演説していました。博物館の頂上にエレベーターで上り、市内を一望しました。革命広場に面して壁に大きなチェ・ゲバラの肖像を掲げた内務省の建物や国立劇場、博物館の裏側にキューバ共産党本部などがあります。キューバ共和国の権力が集まる場所です。

小さな住宅が密集しているのも見えます。この地域はもともとこのような住宅の立ち並ぶ所でした。それを嫌ったバチスタがたくさんの住宅を取り壊し、大きな広場を作り、巨大建造物を建てたそうです。それをもっともよく利用しているのがバチスタを倒したフィデル・カストロたちです。

博物館の売店でフィデルについての本2冊とチェ・ゲバラについての本1冊を買いました。合わせて3冊、計54.85兌換ペソ(約6500円)でした。

旧市街にあるホテル、アンボス・ムンドスに向かいました。アーネスト・ヘミングウエイが定宿とし、「誰がために鐘が鳴る」を執筆したところです。ヘミングウエイの部屋は5階。私の部屋はその1階下の4階。ヘミングウエイの部屋は私の部屋と広さはそう変わりませんが、角部屋で旧市街が見渡せます。私の部屋の前は、細い歩道を挟んで、現在舗装中の新しい大学の建物です。このあたりは世界遺産に指定されているので自動車立ち入り禁止です。

まだ明るい午後5時半すぎにホテル近くの銀行に行き、ふたたび1万円を兌換ペソに換えました。空港と同じ銀行で、同じ日なのに、今度は82.65兌換ペソでした。帰りにホテル近くの露天の古本屋に立ち寄り、本を物色、本屋の中年の婦人が勧めるフィデルについての10兌換ペソの本を8兌換ペソにまけて貰って買いました。28日には1万円=83.95兌換ペソでした。

夕食はアル・カポネゆかりのホテル、ナショナル・デ・クーバでとり、ブエナ・ビスタ・ソシャル・クラブ・ディナーショウーを楽しみました。真っ黒い人、薄黒い人、褐色の人、白い人。打楽器だけの音楽、それに弦楽器や管楽器の混じった音楽。アフリカ風のもの、ヨーロッパ風のもの、それらが混じったもの。歌も踊りも主役は黒い人でした。これがキューバだと思いました。宴たけなわでしたが、翌日に備えて途中で席を離れました。ハバナの夜は長く続きます。

(続く)