阜新万人坑を訪ねて

植木 竜司

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2007年8月16日、中国遼寧省阜新市にある「万人坑」を見学しました。

私は昨年10月より本年3月まで阜新市に滞在しましたが、「万人坑」の存在については知りませんでした。阜新市は炭鉱の町であり、第二次大戦中に日本軍がこの地を占領し、この地の多くの石炭資源を掠奪し、その過程で万単位の阜新の人々が亡くなったことは知っていましたが、それらの人々が同じところに大規模に埋葬された場所があることは知りませんでした。

12日に見学をした瀋陽市の「九・一八事変博物館」で購入した李秉剛著/張玉彬・胥敏訳『万人坑を知る―日本が中国を侵略した史跡』(東北大学出版社、2005年9月)という本に「阜新炭鉱の万人坑」についての記述があり、阜新に関係を持つ日本人としてここは見ておかねばと思い、阜新市の友人にお願いして見学させていただきました。

中国国内には第二次大戦中の日本軍の占領と関係がある「万人坑」が北の黒龍江から南の海南島までいくつもありますが、ここ阜新万人坑はその中でも七万人の労働者の遺骨が納められている最大規模の万人坑であるとのことです。

1936年10月1日、満州炭鉱株式会社阜新鉱業所が設立され阜新の石炭資源が大規模に掠奪され始めました。1939年4月までに鉱業所に属していた採炭所は一箇所から八箇所まで増やされ、満州炭鉱株式会社の最大の炭鉱でした。1936年から1945年8月まで、2527.5トンの石炭が掠奪され、同時に数万人の炭鉱労働者が亡くなり大規模な「満鉄墓地」が形成されました。

今回の見学は阜新万人坑の館長さんとともに記念碑や満鉄墓地、死難砿工遺跡館、阜新砿史陳列館等の施設を回らせていただき、それぞれの施設で解説も聞かせていただきました。一番印象に残ったのが死難砿工遺跡館です。日本の占領者たちは、労働者に対し長時間の作業をさせ、生活条件も悪く、数多くの人々が過労死、餓死、病死したそうです。死難砿工遺跡館にはそれらの人々の遺骨の一部が当時の埋められたときのままの形で残されていました。その中には他の遺骨とは異なった向きをむいた遺骨がいくつかありました。館長さんの話によるとそれらは外へ這い上がろうとしている姿であり、生き埋めにされたものであるとのことでした。病気や怪我等で、労働の役に立たない人間は生きていても埋められたのであり、人命よりも鉱山を重んじた戦時中の日本の蛮行の証拠といえるでしょう。

阜新万人坑は「全国重点文物保護単位」の一つですが、現在一般に公開されておらず、施設は老朽化が目立っていました。阜新市民でも訪れたことがない人が多くいるとのことであり、「風化」が進んでいるといえるでしょう。阜新の人々の対日感情は私の印象ではそこまで悪くなく、つい六十数年前に七万人もの人がここで日本の侵略の犠牲になったとは考えられないほどです。

しかし、阜新万人坑は日本が占領中にどれだけ残虐で非人道的な行為を行ったかを物語っています。もし阜新の人々の間でこの歴史の風化が進んだとしても、日本人は決して忘れてはならない歴史であると思います。

阜新市は日本ではあまり知名度のない中国の一都市ですが、確かに六十数年前にこの地にも日本人がやってきて数多くの悲劇を生み出しました。新たな友好の歴史をつくっていくのにあたって、やはり加害者の側であった日本人がこの歴史的事実をしっかり認識し反省した上で、はじめて本当に強固な友好関係が構築できるのではないかと思います。

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