エッセイ 53 一炊の夢

木村 英亮

学生のとき寮で同室であったグループ10人くらいで2年に一度集まって会食をしている。寮の部屋は、2段ベッドの8人部屋の寝室と16人部屋の勉強部屋からなっていた。ここで1年でも暮らせば、同室者についてよく知り、親しくなるのは当然であるかもしれない。いまのように、自宅でも一人っ子で育ち、大学の寮でも個室であれば、なにか抜けるところがあるのではないか、と思う。もちろんいまさら個室をなくせよというのは無理であるが、なにか別の対策がなければならない。大学では、教室で学ぶとともに、寮などで友人どうし学ぶことも多かったのである。しかし、これはここのテーマではない。

ヘルマン・ヘッセの『ガラス玉遊戯』の最後に「インドの履歴」という部分がある。水汲みにいった少年が泉の傍らでまどろみ、夢のなかで王となり、やがて隣国と戦い、妻は裏切り息子は殺され、自身は傷を負って捕らえられ投獄される。そこでまどろみからうかびあがる。「おもいきって目をみひらくと、まわりには牢獄の壁はいっさいなく、みどりの光りが群葉や苔の上をあかるくさんさんとながれ、彼はいつまでもまばたきをつづけた。・・・彼は森のなかに立っていて、両手に水のはいったうつわをかかえ、足もとにはひとつの泉の水盤が褐色とみどりのひかりをやどしていた」(登張正実訳『ヘルマン・ヘッセ全集 12』、三笠書房、1962,233ページ)。

われわれもと寮生は、レストランのテーブルをかこんで、昔話に興じた。みたところみんな50年前とすこしもかわっていない。家族や仕事のことはお互いにほとんど話題にしないが、全体として恵まれたものであったのであろう。

つくづく人生は短く、一炊の夢と思う。