エッセイ 56 退職1か月71歳の感想

木村 英亮

3月31日に定年退職の辞令をもらって1か月経った。大学はその前から休みにはいっていたので、生活が急に変わったわけではない。給与も年金も銀行振り込みなので、この点でも変わりはない。

勤めがないのは、いろいろなオブリゲーションがなくなったと言う点が一番大きな変化である。これはさまざまな義務がなくなったというだけでなく、いろんな制約から解放され、まったく自由になったということである。後者はあまり意識されないが、そのことを積極的にとらえ生かして、新たな成長のための契機にしなければならないと思う。

最近、なだいなだを読んでいて次のような文章にであった。

「五十を越えるとき、齢をとるのが怖かった。だが、サン=テグジュペリは『ひとたび事件の渦中に入ってしまえば、決して恐れたりはしない』といっている。その通りだった。・・・それが、山を登るように高みにのぼっていくことだということが、だんだんに分かってきたからだ。実際、いろいろなものが見渡せるようになってきた」(『こころ医者の手帳』筑摩文庫、1998,123ページ)。続いて、大学までの教育が試験にパスするための他、人生で何の役にも立たないことも分かってきた。役に立ったのは忍耐力だけだ、と書いている(124ページ)。

一生を社会主義の追究に過ごし2001年に97歳で没した石堂清倫氏は、戦後50年以上自宅で研究や翻訳に従い、亡くなられる直前まで執筆されていた。氏は、東大文学部の出身であるが、在学中、教室には実質的には3ヶ月もでなかったと聞いたことがある。講義は大体においてつまらなかったと書かれている(『わが異端の昭和史』上、平凡社ライブラリー、2001.参照)。また、90歳を過ぎて、どんなお気持ちだろうと考えたこともあるが、たしかに少しも怖くなかったのであろう。