二酔人四方山問答(34)

岩木 秀樹

B:君から色々イスラームについて話を聞いてきて、寛容な宗教だということがわかったよ。

A:そうだ。キリスト教と比べれば、比較的寛容だったということは歴史家やキリスト教徒も大筋は認めている。

B:やっぱり、異教徒も平等に扱って共存していたんだよね。

A:いや、完全な平等ではなく、イスラーム教徒が優位に立っていたことは事実だ。異教徒は税が課せられたり、服装や乗り物なども規制されていた。ただヨーロッパ近代に比べて、比較的共存していたことは事実だ。そこで、最大で最後のイスラーム帝国であるオスマン帝国の体制を、専門家は「柔らかい専制」と呼んでいる。

B:ふーん。専制であるけれども柔らかいシステムを持って多宗教の共存体制をある程度維持していたということか。ところでオスマン帝国の名前を高校の世界史で習ったけれど、かなり以前にあった帝国なんでしょ。

A:いや80数年前には存在していたイスラーム帝国だ。第一次大戦によって崩壊し、その後、現在の「中東諸国体制」が西欧主導で作られた。

B:あっ、そうそう。オスマン=トルコ帝国とかトルコ帝国とか聞いたこともあるよ。

A:それは欧米経由の間違った認識が日本にも入った、いわば偏見や認識不足から来るオリエンタリズムだ。

B:どういうこと。トルコ人による帝国ではなかったの。

A:そうだ。そもそもイスラーム帝国には民族意識は希薄で、人を分かつ類型は宗教だった。当時トルコ人とは野卑な農民といったイメージだった。だからあなたは、なに人ですかと、オスマン帝国内で聞けば、おそらくイスラーム教徒ですとか、もしくは後期であればオスマン臣民ですなどと答えただろう。

B:でもスルタンや高位の政治家はトルコ人だったんでしょ。

A:いやスルタンですら混血が進みいわゆるトルコ民族ではなかった。いわんや政治家や官僚、軍人は実力登用主義をかなり長い間とっており、血縁は重視されなかった。

B:なるほどだからこそ、600年以上も帝国が維持できたんだね。

A:そう。600年以上もあれほどの広大な領土を維持するには、ある特定の集団のみが中枢にいるシステムでは無理だろう。600年持つ体制とは世界史上でもかなり少なく、当然ある一定の共存体制が前提となる。

B:トルコ人中心の帝国ではないから、トルコ帝国でもなく、オスマン=トルコ帝国でもなく、オスマン帝国と名づけるんだね。

A:そう。ただ問題はまだある。オスマン帝国とは自称ではなく、後代の人々が名づけた名称だ。

B:当時はどう言っていたの。

A:「崇高なる国家」もしくは「崇高なるオスマン国家」。しかもその綴りはトルコ語風ではなくペルシャ語風の言い方だった。帝国という言葉はなく、オスマンという初代スルタンの固有名詞もない場合が多かった。

B:へー。しかもペルシャ語風に言っていたとは。

A:トルコ語でもなく、固有名詞もない言い方はまさにこのイスラーム帝国のコスモポリタン性を示しているかもしれない。実際、イスタンブルはイスラーム教徒が過半数を占めていなかったと言われている。まさに世界が集約された帝都だった。

B:そうしたら自称としてオスマン帝国という名前ではなかったのだから、この言い方も問題があるね。

A:そう。将来、歴史家が名称を変えるかもしれない。当時の自称と他称を吟味しながら、後代の歴史家がその国家をどう歴史的に位置づけるかで変わる可能性はあると思う。

(つづく)