イギリスの平和マーチに参加して

高橋 勝幸

2005年3月19日土曜日の正午、イラク攻撃2周年の前日、平和マーチはハイドパークからスタートした。私は前日の朝、新聞で、「反戦行進」の小 さな見出しに偶然にも目を留め、戦争協力阻止の強い意志を首相に示すデモが行なわれることを知った。夕刻帰途に地下鉄の駅前で、英軍撤退要求署名運動があ り、すかさず署名した。その場で、翌日の平和デモのチラシをもらった。

私は公文書館で資料を収集するために3月初旬にイギリスの地を初めて踏んだ。ロンドンは数日前からすっかり春めき、当日は汗ばむほどの陽気で、デ モに絶好の日和であった。私はハイドパークの入り口で、世界一のテロリストと書かれたブッシュの肖像のプラカードをもらい、アメリカ大使館を経由して、ト ラファルガー・スクエアまで、約6キロを約2時間かけて練り歩いた。老若男女、皮膚の色を問わず、大勢の人々が意気揚々と行進した。参加者があまりにも多 いため、アメリカ大使館を過ぎるまでは、遅々として行進が進まない。参加者は警察の推定によると4万5千人だが、主催者側は20万人と発表した。グラス ゴーとスコットランドでも平和デモが行なわれた。私は日頃の運動不足がたたり、多くの人に先を越された。しかし、歌あり、シュプレヒコールありのデモに励 まされ、何とかゴールまで辿り着くことができた。

新聞の報道によると、デモが行なわれた2005年3月19日までに、110人のイギリス人が命を落とし、その内イギリス兵はイラクで 86人が死亡した(アメリカ1,512人)。開戦時に45,000人を派遣し(全軍170,000人)、3月の時点で、8,930人の英兵が駐留していた (全軍175,000人)。2937人が負傷して引き上げ、その内824人は心的傷害を負った。(インディペンデント紙)もちろん、デモで配布されたビラ はイラクの被害者を強調し、イギリス派遣軍の撤退とブッシュによる戦争の阻止を求めた。

トラファルガー・スクエアでの集会では、平和運動団体、労働組合、学校、各種運動グループの代表がスピーチした。息子を戦場で失った母親は、「ブ レア氏は、私たちが黙ってはいないことを知らなければならない。軍隊を撤退させる時である。たった一人の母親がそう言っているのではない。世界中の母親の 言葉である」と(ガーディアン紙)。午後5時過ぎには、歌と踊りの祭典になった。集会は、国立美術館前の広場で開催されたこともあって、観光客も加わっ た。ブレア退陣や米英軍撤退を要求するプラカードをもって記念撮影する光景も見られた。

3月18日から20日にかけて、世界各地で反戦デモが展開された。イギリスでは今回のような全国規模のデモはイラク戦争以来11回目になる。主催 団体は戦争ストップ連合(Stop the War Coalition)、核兵器撤廃運動(CND)、イギリス・ムスリム協会で、これに社会主義労働者党(Socialist Workers Party)、Respect党、緑の党、共産党やパレスチナ解放支持団体などが参加した。5月5日の総選挙をにらみ、イラク攻撃に賛成した政党を不利に し、賛成した議員を落選させることも意図した。選挙直前に、法務長官がイラク戦争の合法性に疑義を進言した機密文書が暴露され、イラク戦争は大きな争点と なった。残念ながら労働党が辛勝し過半数を占め、ブレアの続投となった。しかし、小選挙区制のため議席には反映しないものの、労働党の得票率は与党として 最低の36.2%(47議席減の356)、イラク戦争に賛成の保守党は33.2%(+33の197)、イラク戦争に反対した自由民主党(+11の62議 席)は22.6%と前回より3.8%増やし、180人が次点であった。Respect党(社会主義労働者党、戦争ストップ連合が支持。議席1)などイラク 戦争に反対した候補者が活躍した。(毎日新聞)

イギリスのデモは象徴的な意味を超えて、小選挙区制度では選挙の争点になりにくい国際問題に対する国民の厳しい批判を、3期目のブレアに突きつけた。イラク参戦の責任はブレアの頭上に重くのしかかっている。

takahashi1.jpg
プラカードを手に、ハイドパーク・コーナーを出発しようと待機する市民たち。

takahashi2.jpg
トラファルガー・スクエアで登壇者のスピーチを聞き入る人々。背景に国会議事堂のシンボル、ビッグベンが覗く。