二酔人四方山問答(35)

岩木 秀樹

B:冷戦崩壊以後、特に9・11事件以後、イスラーム地域で戦争が絶えないよね。

A:そうだね。オスマン帝国の領域やその周辺で問題がくすぶり続けている。そのことを指して、「ポスト・オスマン・シンドローム」と名づけた研究者もいる。オスマン帝国は1922年に政治的に解体したが、その遺産の最終的な精算は出来ていない。

B:言われてみれば、紛争の多くはオスマン帝国の領域やその周辺だね。イラクもパレスチナも旧ユーゴスラビアもチェチェンもそうだ。

A:だからオスマン帝国の共存形態や、なぜそれが崩壊して現在の中東諸国体制になったのかを見ていくことは、現在の問題の淵源をたどることにもなるんだ。

B:そうか。じゃあオスマン帝国がどのようにして共存していたのかを教えて。

A:その前に、イスラームにおける共存の考えを見ておこう。オスマン帝国も、イスラームの教えやそれ以前のイスラーム帝国の影響をかなり受けている。

B:では、なぜイスラームが比較的寛容なのか教えてよ。

A:おそらく、イスラーム教徒は最も偉大な教えであるので寛容なのは当然だと考えるかもしれないが、研究者は次のように説明する人が多い。第一はイスラームは都市の宗教、商業の宗教であるから、他者の存在が前提となる。

B:商売は身内の中だけでやっていても、利潤は増大しないよね。

A:そう。だから商業的雰囲気の中で形成されたイスラームは他者性や異人を大事にする。他者がいるから自分たちも存在すると考える。だから当然、寛容となる。そして第二の理由は預言者の多元性だ。

B:なにそれ。色々な預言者も認めるってこと。

A:その通り。アダムから始まって、アブラハム、モーセ、イエスなどを預言者として認めるんだ。最大にして最後の預言者がムハンマドとなる。だからユダヤ教やキリスト教を啓典の民、兄弟の宗教として認めた。

B:なるほど。前にも聞いたことがあるね。

A:啓典の民には、税金を払ってもらえば、ある程度の自治や宗教の自由は容認した。戦争をしたり、抹殺するより、税金をもらうとは実に現実的で実利的な政策だと思う。

B:殺したりするのも労力がかかるし、恨みを買う。税を取るとはうまいやり方で、一つの共存の方法だね。

A:さらにこの啓典の民の範疇が広がることになる。ゾロアスター教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒まで広がったこともある。

B:へー、そんなに。

A:たぶん寛容思考からではなく、税を取りたかったためだろうが、それでも血で血を洗う闘いよりもましだと思う。

B:「コーランか剣か」はやはりヨーロッパで作られたイスラームに対する間違った認識なんだね。

A:そう。正確には、啓典の民には「コーランか剣か税か」だ。イスラームに改宗するか、戦うか、税金を納めるかだ。しかも先程述べたように、啓典の民の概念は広がることとなった。

(つづく)