蒸し暑い夜の妖怪話

ねこくま

唐突であるが「銀河英雄伝説」というSF小説をご存じであろうか。民主的選挙で選ばれた一国の首相をSF小説の悪役にたとえるのは何とも失礼な話であるが、今回は小泉首相とこの小説の登場人物ヨブ・トリューニヒト氏のお話である。(注1)

歴代の首相経験者や衆議院議長はては日本遺族会会長までが、小泉首相の靖国公式参拝中止を求めている。もとよりいわゆる護憲派も、戦後民主主義の 受益者である大企業の大部分もアジア諸国民の感情を逆撫でして日本の対外経済活動を制約する靖国参拝に反対であろう。しかし小泉氏は四面楚歌にも似たこの 状況で「国会解散」を盾に頑迷に政治姿勢を変えようとしない。

ある研究会で韓国人研究者から問われた。靖国公式参拝に執着する姿勢は日本国首相の個人的資質なのか、あるいは何か目算があってのことなのか? 私にも小泉氏が中国や韓国とあえてことを荒立てる理由は理解不能だ。日中経済はすでに一体化しているからだ。(注2)

こんなおりEU憲法採択がフランスとオランダで否決された。政治統合推進で世界覇権確立を求めるEUエリートの独走に、生活の質の保障を求める一 般国民が反対を表明したというのだ。これを見て一定の国民が「靖国参拝」を支持する日本でも同じことが起こっていることに今更ながら気がついた。経済レベ ルにおけるアジア経済一体化はとうの昔に進行しており、日本の大企業は格安な労働力を求めてアジアに工場を移転し、日本人労働者は仕事を失ってきた。グ ローバリゼーションの名の下に大企業は中小企業と労働者を切り捨ててきた。

まして東アジア共同体など実現してしまったら大部分の日本人の生活はどうなるのか。不満と先行きの不安に突き動かされる負の庶民感情と小泉氏のか たくなな靖国詣でが結びついた場合、ナショナリズムという理解不能な次元で日本を突き動かす妖怪に化ける可能性に思いたる。わが日本国の小泉首相は「銀河 英雄伝説」の登場人物ヨブ・トリューニヒト氏に類似して、実にポピュリスト的直感に優れた人物である。小泉氏が土壇場の一発逆転を狙ってナショナリスト 「小泉純一郎」を演じている可能性に思い至ったのである。

ブッシュ大統領への無類の忠誠心を売り物に強引なグローバリゼーションを進めてきた小泉氏を、グローバリゼーションへの不満からナショナリズムを 高揚させる人々が支持するというのは何とも皮肉な話であるが。小泉氏の狙っているのが中国への生産移転で苦しみ、アジア経済の一体化に底知れぬ不安を感じ 取っている庶民の支持を狙っての「小泉靖国参拝」だとしたら、氏は大変な政治センスの持ち主だということになる。

日本の指導者諸氏は国民の平等と福利の保証に本気で取り組まないと、経済権益も財産も全部吹き飛んでしまうような事態がすぐそこまで 迫っていることを理解しなければならない。ナショナリズムには経済的合理性も倫理も正当性も通用しない。死に体だった小泉氏が再び復活などと言う事態が起 こるかもしれない。蒸し暑くなったので怪談話と冗談ではすまされぬ恐ろしい話である。

注1:広大な銀河系を舞台とした皇帝を頂く銀河帝国と民主主義を頂く自由惑星同盟の興亡を描くいわゆるスペース・オペラと呼ばれる小 説である。ここにヨブ・トリューニヒトという男が登場する。陰謀と策略で大衆を操るポピュリスト政治家で帝国騎士団という極右テロ集団を擁して大統領に登 り詰める大衆政治家である。軍事クーデターから銀河帝国による占領といった数々の危機を持ち前の悪運と鉄面被的な悪辣さで乗り切って、最終的には自分が大 統領を務める自由惑星同盟を滅亡に導く悪党の代表のような大変な登場人物である。

注2:戦後60年近い年月を経て、国民全体から見れば一定の割合に止まっているにしても、首相の靖国参拝を支持する日本国民がどのような理由でこれ を支持するのか私はずっと不思議に思っていた。アジアとの情報の一体化が進む国際化の時代に、明治以来の英霊への参拝という話も何とも時代錯誤的である。 私が靖国参拝に反対する理由は、靖国神社が日本と周辺諸地域を苦しめた国家神道の象徴であること、首相による公式参拝が日本国憲法の理念の一つである信教 の自由の否定を意味していること、アジアに限らず世界の人々が首相の靖国公式参拝を日本の軍国主義回帰と理解するだろうと考えるからだ。