ビジネス社会の「人間観」

わたなべ ひろし

今年の2月、初めて「管理職研修」なるものを業務命令で受講した。主催はビジネスマン教育で有名なSN大学である。研修内容はともかく、講師であるコンサルタントの先生が合間あいまに開陳するコメントが僕などにはとてもおもしろかった。

例えばこんなふうである。

「自分の周囲で起こっていることは、どんなささいなことでもその全てが自分に対する問いかけだと思った方が良い。その問いかけに答えていくことが人生というものです。」

「自分の主体性こそが、最良の問題解決のための方法です。」

「マネージメントとは、他者との信頼関係を結ぶ能力のことです。そして他者との信頼関係を結びたいと思ったら、まず自分自身を徹底的に見つめなおしてみることが必要です。自分自身を真に分かっていない人に、他人との信頼関係は築けません。」

講師によるこれらの「人生哲学」を聞き、根がこういうものを嫌いではない自分などは「ビジネスマン研修恐るべし」とすっかり感心してそのときは帰ってきた。

最近仕事の関係で、いわゆるビジネス書やビジネス雑誌と言われるものにまとめて目を通す機会があった。そこで僕の目に入ってきたのは、「自己実現」 やら「主体性の創造」やら「自身の存在意義」といった、それこそひと昔前なら左翼雑誌(古いねどうも)でお見受けするような大量の言葉たちであった。その とき僕は思った。これはビジネス社会における「人間観」の表出なのではないか、こういうものを提示して常にビジネスマン=労働者たちに自分の仕事の意味や 生き方を説き、与えていかなければ、現在のビジネス社会=資本主義そのものが立ち行かなくなってしまうからこういうものが大量に氾濫しているのではない か、と。

それはこういうことである。よく「自分探し」などといわれるが、高度資本主義社会というものの特徴のひとつは、「仕事と人生の意味づけへの執拗な問 いかけ」の一般化だと僕は考えている。この社会に属する多くの人たちは、自分の人生にとって仕事はどのような意味があるのか、自分の「アイデンティティ」 の確立を可能にするような仕事とは何か、ということを、切実に考えながら日々を過ごしている(かくいう僕もその一人である)。そして現状の資本主義社会が 高度の情報化、サービス産業化、知識社会化に依拠していることと、それは密接に関連していると思う。このような社会では、自分が日々行っていることが、果 たしてどれ程「仕事」の体をなしているのかおよそおぼつかなく感じてしまうからである。

そしてビジネス雑誌やビジネス書などで展開されている「人間観」などは、この高度資本主義社会において悩み多きビジネスマン=労働者たちに対する資本の側 からの回答であり、メンテナンスの一環なのである。ストレスの少ない鶏や豚の肉は美味しいとか言うが、まさにそれだ。そう考えれば、僕が受講した管理職研 修なども、そのときは「なかなか言うことが深いなぁ」と感心させられたのであるが、深いのも当たり前の話で、まさにそこは現在のビジネス社会=資本主義に とっては、自己の存続をかけた最前線であったというわけである。

考えてみればこのような「仕事と人生の問い」に対して、例えば資本主義を批判する側である労働組合などは、訴求力のある魅力的な「人間観」を打ち出 せていないのではないだろうか。そしてそこに労働運動の現状の衰退をもたらした一因があるのではないか。 さらにこのことは平和や護憲を訴える私たちの主張や運動にも言えることだと思う。いかなる「人間観」に基づいて平和や護憲を訴えているのか、そしてそのこ とが各個人の具体的な幸福や生きがいとどのように結びついてくるのか、こういう問いに答えられる、というかそもそもこういう問いから始めている平和論や護 憲運動が果たしてどれほどあるのだろうか。

平和学と言っても、それはいかなる「人間観」を提示することができるのかということに尽きると僕は確信している。