エッセイ 62 青年の横浜

木村 英亮

横浜は現在日本第2の人口をもつ都市であるが、その歴史は短い。1853年アメリカのペリーが浦賀沖に来航、翌年7隻の艦隊を率いて再び来航、幕 府は横浜村で日米和親条約を締結し、函館と下田を開港、1856年に総領事として派遣されたハリスと下田で日米通商条約を締結し、それによって1859年 に神奈川が開港された。

幕府は条約で約束した神奈川でなく、東海道から野毛山と海で隔てられている横浜を開港場とする方針を決め、建設をおこなった。その後各 国は領事館を神奈川から横浜に移し、1867年には255隻の外国船が入港した。当時横浜は101戸の村であったが、1889年市制が施行されたときは 11万6000人となり、1968年には200万人を突破し、今日340 万人となった。

第二次世界大戦末期に空襲で完全に破壊され、戦後中心部を米軍が使用したため復興は遅れたが、そのために計画的に建設できた面もある。 起伏が大きいので埋立地も広がった。私は2000年3月まで横浜国立大学に勤めたが、常盤台の8階の研究室からは、横浜港、ベイブリッジ、みなとみらい 21などが一望できた。私の住む港北ニュータウンは、道路や地下鉄も都市計画にもとづいて整備されたモダンな街である。

横浜は、古い建物が少ないばかりでなく伝統もない。これが魅力となって全国から若者を惹きつけ、横浜国立大学を全国大学とした。学生に どうしてこの大学に入学したのか聞くと、横浜に住みたかったからという答えが結構あった。中国人をはじめとして外国人も多く、外国人留学生は、学部学生 7855人中234人、 大学院2062人中437人、研究生、聴講生をふくめると792人となっている(『数字で見る横浜国立大学2005.5.1現在』による)。