エッセイ1 遊びと仕事

木村 英亮

研究を推し進める主な力は、好奇心であって、必ずしも収入になるからではない。それは、音楽や美術、文学と同じように、人間の本性にもとづく営み で、いわば遊びの要素がある。これは、物理学者の朝永振一郎が1965年に書かれていることであるが、まったくその通りであると思う。

いま社会全体で、経済的に引き合わない研究が排除される傾向にある。もちろんひとりよがりの研究や、どのような成果がもたらされるかわ からない研究もあるであろう。しかし、経済的、技術的に必要な分野のみの研究でいいのであろうか。それでは研究に大きなゆがみが生まれるのではないかと危 惧される。

たしかに、科学の発達によって、経済的に豊かになったばかりでなく、医学は寿命をいちじるしくのばした。しかし、他方では殺戮の手段も 度外れに大きくなった。また、国家が核兵器など軍事科学に膨大な予算を投入することによって、それ以外の研究分野を圧迫するという現象もおこっている。さ まざまな分野の研究があってこそ、人類のためになるのであって、目先の必要にばかり応えていては、科学は大きくゆがみ、バランスがくずれる。環境や資源、 食糧の問題として、緊急の課題になっていることの根元は、ここにあるのではなかろうか。

文科系の大学においても、いまは経営学や法律学などいわゆる実学を学ぶ学生が増加し、カリキュラムでも、哲学や文学などは縮小される傾向にある。教養教育はないがしろにされ、専門学校化しつつある。

人間の生活は、経済的発展によって余裕が大きくなってしかるべきであるのに、かえって貧しくなっているように思われるのである。