「核廃絶」について

今井 康英

今回は、「核廃絶」について述べます。来月の今日は、60年目のヒロシマの日であり、9日は60年目のナガサキの日です。 そして、60年目の8月15日を迎えます。今年も全国各地で平和行進や原爆展などが実施されています。

7月2日には、ナガサキで「ストーンウオーク」がスタートした。西日本新聞(7月2日)などによると、これは、日本では初めての取り組みだが、長崎の爆心地公園から広島の原爆ドームまで、「UNKNOWN CIVILIANS KILLED IN WAR」(戦争で犠牲になった無名の市民)と刻まれた碑石を台車に載せて運ぶというもので、8月4日に広島市の平和公園に到着後、日本語の同じ言葉を石に刻むことになっている。長崎市の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館などを訪れたことがある「ピース・アビー」のドット・ウォルシュさんは「坂の多さや夏の暑さを考えるとウオークは難しいと思ったが、被爆体験談で聞いた『お母さん、お母さん』と呼ぶ声が耳から離れず、日本でやらなくてはならないと考えた。国や人を結びつけるプロジェクトを成功させたい」と力強く語った。同時テロで夫を亡くしたアンドレア・ルブランさんが「被爆者と同じように家族を失った者として、怒りや報復ではなく、平和を祈る運動を成功させましょう」と訴えた。長崎の実行委代表を務める大学講師、前川智子さんは「一人でも多くの人に石を運んでもらい、平和の重みを実感してほしい」と話した。なお「ストーンウオーク・ジャパン 2005」の公式HPは、 http://homepage2.nifty.com/tomokonet/stonewalk/

同じ日に、ヒロシマでは女優の吉永小百合さんによる原爆詩の朗読会が開かれた。時事通信(7月2日)によると、原爆詩の朗読は、吉永さんにとって1986年から続けているライフワーク。詰め掛けた100人の被爆者らを前に、「日本人全員で、原爆の恐ろしさ、核兵器は二度と使われてはいけないということを、 あきらめず、粘り強く訴えていかなければと、60年の節目に改めて思っています」と語り掛けた。また中国新聞(7月4日)によると、3日には、吉永さんによる山口県内で初めての原爆詩の朗読会が行われた。ここでも吉永さんは、県内の被爆者百人を含む五百人の参加者に向け「特に若い人は原爆詩を学校や職場で紹介して、二度と核兵器が使われてはいけないという思いを伝えてほしい」と呼び掛けた。

若者たちは、こうした呼びかけにどう応えてくれるのだろうか。毎日新聞(7月5日)によると、戦後60年を記念し、習志野市は今月から、市内全7中学校で、被爆者の体験談を聞く事業を始めた。4日は、市立第四中(岡本治之校長、生徒558人)の全校生徒が、12歳の時に広島市で被爆した女性(72)の体験談に耳を傾けた。3年の木村雄太君(14)は「深い苦しみを知り、今後自分が何をすべきかを考えなくてはいけないと思った」と話した。

毎日新聞(7月4日)によると、被爆地・長崎から核兵器廃絶と平和を訴えようと3日に長崎市で「ながさき平和大集会」(同集会実行委主催)が開かれた。同実行委は98年から、「高校生平和大使」をスイス・ジュネーブの国連欧州本部などに派遣している。今年の平和大使として選ばれた活水高3年、平湯あゆみさんは「被爆60年は再出発の年だと思う。長崎に育った者の使命として被爆体験を受け継ぎ、発信していきたい」と抱負を語った。このほか、高校生1万人署名活動に参加している高校生らが、活動報告や歌を披露した。

京都新聞(7月5日)によると、原爆の恐ろしさを学び、平和を考える「戦後60周年記念原爆展」が5日から京都市北区の佛教大で始まった。社会福祉学部の学生が企画、7日までの期間中、被爆者の体験を聞く催しもある。原爆展実行委員会代表の浦ひろ子さん(3年)は「戦争の実体験がない私たちですが、原爆の悲惨さを受け止めることで、戦争や平和について考えることができた。これを出発点に同じ若い人にもっと学んで、考えていこうと呼びかけたい」と話している。

毎日新聞(6月24日)によると、今年5月、米国ニューヨークで行われた核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて訪米し、現地で被爆者らと交流した京都精華大2年の越智裕希美さん(19)と土井彩子さん(19)が、京都市内の大学や平和集会などで帰国報告会を続けている。土井さんは広島、長崎の被爆者を先頭に、約4万人が参加したという行進に触れ「草の根から核廃絶を望む声は世界共通でとても力強かった。平和運動は確実に前進していると実感した」と話す。一方、約1カ月に及んだ会議は核保有国と非核国の間で成果のないまま決裂。越智さんは「とても悲しいこと。どういう部分で物別れに終わったのかもう一度見つめ直し、決裂したからこそ声を上げていかなければ」と運動継続の必要性を強調している。

私も、このような若者や学生が続々と現れることを念願しつつ、微力ながら地元で「国本平和学習会」の活動に取り組んで行きたいと思います。