エッセイ2 大学における研究と教育

木村 英亮

いま業績主義となり、大学でも教員に1年間に書いた論文などの数を届けさせるようになった。大学のニュースなどにも前年度の業績表が載せられている。これらの業績の数を給与などに反映させようとする。しかし、これだけでは、質より量ということになりかねない。数年に一回画期的な業績を生むような研究者よりも、毎年平凡な論文を書く者の方が評価されることになりかねない。また、このように言って研究していないことを弁解する者もでてくる。

また、大学院生の論文を活字にするためといって、自分の名であるいは連名にして紀要などに載せ、業績にカウントさせるようなことも生ずる。

わたしは、大学の主な仕事は教育にあるので、教員の評価はそちらに重点を移すべきではないかと思う。大部分の大学は、教育機関であることを忘れている。もちろん、研究していない教員の講義は魅力を欠くであろうが、それは第一に講義を通して、学生によって評価されるべきであろう。学生には、そのような力はないという教員もいるが、全体としてみると、学生の評価はあたっているように思われる。それは、政治の世界の選挙で、民衆の判断があてにならないという意見と似たところがある。

受験生や社会も、大学を評価するとき、教員の学界における活動状況だけでなく、教育の面での評価の方法も考える必要である。

また、研究者として優れているが、教育者としては適当でない人のために、大学院だけや研究所のポストを拡充すべきであろう。

ともかく、現在の大学は、青年の3-4割が進学するという条件に合っていない。