無題

とらたぬき

戦後60年の夏が来た。私の田舎では終戦記念日の思い出は旧盆の精霊流しと重なり、亡くなった方々を弔う日であった。その一方で、8月9日は休暇中 でも登校日となり、先生から戦争の悲惨さを教えられ、原爆の投下された時間にみんなで黙祷をささげた。子供の頃の私にとっては、先の戦争は被害者の立場で の戦争であった。

長じて中国に関心を持って学んでいくうち、日本が中国、朝鮮などを侵略し、多くの人々を殺傷した歴史を知った。学生訪中団に参加して、平頂山の殉 難記念館を訪問し大地から発掘されたままの何千体という白骨体を見たとき、言葉に言い尽くせない恐怖と哀悼の思いで一杯になった。そのとき自分がこれらの 人々を虐殺した加害者の民族の一員であることを深く実感した。

その後訪れた中国の多くの地に、日本軍が攻撃し多くの人々が犠牲になったことを後世に伝えるための施設や慰霊碑を目にしてきた。そしてその事実を 日本の若者達に伝えるように心がけてきた。私自身がそうであったように、日本では被害者としての戦争の記憶は教わることも実感することもあるが、加害者と しての記憶を呼び起こされることがないからである。

二度と戦争を起こさないと決意することは、戦争によってなくなったすべての人々に報いることである。とりわけ被害をこうむった地域と人々に思いを寄せ、相互理解を深めていくことこそ、確かな平和を築いていく基礎となると思う。