エッセイ3 論文と調査報告

木村 英亮

ある博士論文を読んでいて、これは調査報告書ではないか、と思ったことがある。 論文の概念は、歴史学と数学の論文を比べてみればただちに明らかなように、研究分野によって異なっている。しかし、正確な事実やデータを根拠としつつ主張を記述するという点は共通であろう。その際、他人の見解に全面的に拠ったり、引用ばかりつなげたりでは困るが、それまでの学説をふまえることも必要条件である。

パソコンによって、文章を活字にすることが簡単になった。執筆するさいも、修正や文の並べ替えなどは容易になった。昔は、印刷するためには、活字を一つずつ拾わなければならなかったが、いまはフロッピーにたやすくいれることができる。費用も何分の一かになった。簡単に活字にできるようになったことは進歩といえるであろう。

しかし、評論を含め、書いて発表することについての責任観念が薄いのではないかと思われる文章をしばしば読むことがある。それは、一つには、文章が推敲されないまま活字になるということに、二つには、書かれている主張が軽くなり、試験の答案のように、移り気になっていることに表れている。

いまは事実を知ること自体の意味が大きくなっており、調査報告も論文の概念にはいるであろう。しかし、問題意識は必要であり、資料を集めただけのものや、初めから結論が決まっている答案のようなものでは使い物にならない。