60年目の広島に思う

近藤 泉

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◆再び広島の地に戻って来ることができた――8月5日、5年ぶりに新幹線から広島駅に降り立った私は、深い感慨で胸がいっぱいになりました。60年前の母は、たった一人、同じ駅に立ちどんな思いでいたのでしょう。

原爆記念資料館は様々な人々で溢れていました。なかでも小中学生や高校生の団体、小さい子ども連れの家族が多く、若い世代の心に平和の灯 が受け継がれていることをひしひしと感じました。「平和学習ノート」と書かれたバインダーを首から提げ、この世にあってはならない恐ろしい展示物を真剣に 見つめているこの子達を見ていると、熱いものが込み上げて来て仕方がありませんでした。

◆8月6日、私と中3の次女は、小金井市「平和行事に参加する旅」16名の一員として、慰霊碑に向かって左側自治体席の前の方に座ることが出来ました。 60周年目の祈念式典は8時から1時間以上、登壇者は次の11名にもなりました。

広島市議会議長/秋葉広島市長/こども代表(男女一緒に)/内閣総理大臣/衆議院議長/参議院議長/最高裁判所長官/国際連合事務総長(代読)/広島県知事/広島県議会議長
平和祈念式典式次第

例年言われ続け、特に今年の登壇者が揃って唱えている「被爆者・ご遺族の高齢化」。お年を召した方々のことを考えない60周年の懇ろな式次第に、倒れる方の出ないよう祈るばかりでした。そして、父と同じ80歳の隣席のおじいさんに扇子で風を送り続けました。

◆秋葉市長の平和宣言には毎年感動し、私の生きる姿勢を奮い立たせてくれますが、今年も一言一言が胸に響きました。

秋葉市長は平和宣言で、決裂した5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に言及し、「核保有国と核保有願望国が世界の大多数の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れている」と批判。広 島で総会を開いている「平和市長会議」が採択した活動方針を踏まえ、2020年までに核兵器廃絶を実現するため、「国連総会が具体的ステップを10年まで に策定するよう期待する」と強調。来年8月9日までを「継承と目覚め、決意の年」と位置付け、「世界の多くの都市でキャンペーンを展開する」と表明した。
[時事通信:2005年08月06日] 全文を読むには

河野洋平さんは、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の慰霊碑の言葉について言及し、これにも大変心を打たれました。

「20世紀アジアの民が独立に立ち上がった時、西側列強によるアジア支配が始まった。同じアジアの国家として、諸国の民と手を携えてアジアを護る大切な道 があったにも拘らず、日本は逆にアジアの多くの国々を侵略し、アジアの民に悲惨な思いをさせ、取り返しのつかない歴史を残してしまった。過ちとはこの意味 でもある。」  (私の聞いた趣意)

はっきりと日本の来し方について述べ、今後進むべき道を訴えました。政府側挨拶はこの一つで充分だと思いました。

慰霊碑の言葉の意味をずっと考え、昨年盧溝橋抗日博物館を訪れた次女も「これでやっと胸がすっきりした。」、そして総理の挨拶について「小泉さんがしゃ べっているはずなのに、魂が抜けていて、そこに小泉さんの存在が全く感じられなかった」と言っていました。本当に情けない総理挨拶で、団のみなさんも憤慨 していました。

◆この1年間で亡くなられた被爆者は5,375人、慰霊碑に納められた名簿には24万2436人+〔私の母〕の名が刻まれています。今回、母が被爆した地点と逃げ惑った道を辿ることができました。近々写真とともにご紹介したいと思います。