「反戦平和」について

今井 康英

今回は、60年目の8月15日を迎えたばかりなので、「反戦平和」について述べます。このカテゴリには、4月30日から8月16日まで、丁度100件の記事を投稿しました。

終戦記念日ということで、小泉内閣及び各党が談話を出した。小泉首相は、「過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたい」と述べた。http://blog.goo.ne.jp/05a21/e/7a96c3ff41b8d0a14fc075fcbb0b8c6e
各党の談話は下記の通り。
http://blog.goo.ne.jp/05a21/e/ef199b08b1a806ccc6dade4780048e91
私も6月8日のコラムで書いたことだが、8月15日を「終戦」記念日と称することには誤魔化しがある。この件について、沖縄タイムスの福島輝一さんも指摘している。http://www.okinawatimes.co.jp/col/20050815e.html
あるいは、http://blog.goo.ne.jp/05a21/e/d8c5b16ea0a634deaf154b61bfe2f8a9

なぜ「敗戦」記念日と言い切れないのか?私が思うに、それは天皇の戦争責任に直結するからではないか。当時は、天皇が絶対的な主権者であった。当然に、最終的に戦争責任を負うべきは天皇であった。ところが、7割の戦後世代の私には実に不思議なことであったが、天皇は免責された。「過去を直視」するとは、なにを見ることなのか。加害国の日本として自ら反省すべきことがあると思う。加害の責任は「臣民」だけが負うのか、天皇免責のままで良いのか。東条英機首相らがA級戦犯なら、昭和天皇は超A級戦犯であった。仮に天皇が死刑(あるいは、せめて退位)になっていたら、戦後日本の歩みはどうなっていただろうか。

もちろん、これは主権在民の今だから勝手に言えることなのだが、戦後60年も経ったのだから、ハッキリと天皇の責任を問うべきではないか。私はこの点がもっとも反省すべき点ではないかと気になっている。その上で、天皇制を維持すべきか、どうかを決めるべきだと思う。私の判断では、日本にはもう天皇制は要らないと感じられる。むしろ、天皇や靖国神社をいつまでも護持していくような国は、いずれまた戦争をやりかねないと心配している。現に、靖国参拝に熱心な首相の下で自衛隊が戦地のイラクに赴いている。幸いにサマワの自衛隊は、いまだ一発も撃ってはいないようだが、現地の情勢はますます緊迫している。今ならまだ相手を殺さなくて済むし、また自衛隊員に戦死者を出して靖国に祀らなくて済むのだから、一刻も早く撤退を決断すべきだ。

どうせ総選挙をやるなら、郵政民営化の是非だけを問うのではなく、天皇民主化や東アジア連邦への構想(EUのアジア版のような)を問うような未来志向の画期的な提案を望む。あるいは、自衛隊を「自衛軍」にすることの是非を堂々と提起すべきだ。

私は、8月15日は明確に「敗戦」記念日として記憶するとともに、「平和祈念日」として新たな出発の日にすべきであると申し上げたい。昨年は「日本国憲法第9条を支持する宣言」に署名しました。今年はこの日に「9条を広める会」(略称)の設立に加わりました。このたび世話人の一人となりましたので宜しくお願いします。