マーケット・メンタリティ

わたなべ ひろし

平日の深夜などにテレビのチャンネルを変えていると、ときおりテレビ東京の経済ニュース番組で小谷真生子さんを見かける。10年ぐらい前、彼女は 「ニュースステーション」に準レギュラー出演していて、久米宏さんの隣りでステキに知的な笑顔を見せていたのを憶えているが、このテレビ東京の番組ではメ インキャスターを勤めており、いつも眉間に3本ぐらいのシワを寄せて、横にいるナントカ総研のおじさんを相手に、「それではこの点に関して、マーケットは どのように反応すると思われますか?」とかきいている。

株には手をださないようにというのは僕の両親の遺言でもあるのだが、そんな小谷さんの「変貌」を見るにつけ、彼女を変えてしまった「マーケット」などというものとは、一生かかわりあいになりたくはないものだと思っていた。

しかし現在進行している金融市場による世界の一体化は凄まじいものがあるようだ。英国の社会学者であるロナルド・ドーアさんによると、国際貿易取引額と外国為替取引額の比率は1対200であるという。つまり、一所懸命モノを作ったり売ったり買ったりした「実経済」の200倍ものマネーが、思惑だけで投機的に世界中を徘徊しているのだ。

なんにしても実経済の200倍の規模である。この国際金融市場の獲得を目指し各国はしのぎをけずっており、そして自国の投資環境を整えることが、現在では国家の重要な役割となっている。

そう考えれば、ブッシュ大統領のイラク侵攻も含めた数々の「マッチョ」な対外政策にしても、どう見てもブッシュ大統領よりは頭の良さそうな英国のブレア 首相の対米追随姿勢にしても、またロシアのプーチン大統領のチェチェン問題を始めとする強気の政策にしても、その幾分かは自国の投資環境の整備の一環とい うことなのかもしれない。

つまり、今世界中の政治家にとって、有権者の他にもうひとつ顔を向けておかなければいけない相手として、「マーケット」というものがあるということであ る。そして政治家である彼(彼女)らにとって必要な資質とは、「強気の一貫性」ということのようだ。決して「マーケット」に不安を与えてはいけないのである。

そしてわが小泉純一郎首相である。まだ解散が決まる前、次のような雑誌のコラムを目にした。

解散・総選挙の結果、小泉純一郎首相が指導力を喪失した場合、海外を含む市場の目が財政危機に向くリスクが高まる。膨大な公債発行残高に 加え、基礎的財政収支の黒字化のメドさえつかない悲惨な状況の暴発を防ぎ、長期金利の上昇を抑えているのは、構造改革によって小さな政府を実現すると言い 続ける、小泉首相のぶれない姿勢にかかるところが大きい。(『週刊ダイヤモンド』2005年8月5日号 p7)

このコラム氏によれば、「独裁的といわれる小泉首相の手法」は、「官僚と自民党族議員が結び付き、そこに総理総裁が乗るというボトム アップ型の政策意思決定システム」を改革するための「必然」だとのこと。もちろんこのコラムの主旨は構造改革を支持するものであるし、「独裁的といわれる 小泉首相の手法」を、「海外を含む市場の目」に対して「ぶれない姿勢」を示すものとして評価しているのである。

金融関係の「専門家」たちによる、このような小泉評価は一般的のようで、その後テレビや新聞で何度も目にした。

僕はこのような小泉評価は、賛同はできないが納得はできる。

「マーケット」にとって、例えば靖国もイラクも憲法も善悪の問題ではない。損得(投機)の判断材料としてのみ意味がある。そして実際に投 資をやるかやらないかはともかく、こういうメンタリティをもった人たちは確実に増えているのではないだろうか。そもそもそういう方面のセンスや知識を幾分 かでも持ち合わせていなければ、普通の日常生活を送ることにも支障をきたすような方向に、社会そのものがむかっているのであるから。

戦争や平和というものが社会の中で語られる文脈というか、基盤そのものが変わってきているということを、最近とくに強く感じる。