エッセイ6 演説の必要条件

木村 英亮

郵政問題をめぐってテレビで沢山のインタビューや討論がおこなわれたが、おかげで自分のことばで真剣に視聴者を説得しようとする多くの議員を発見し た。普段は十分な情報が提供されず、国民の側に立った語りかけが不足していると思っていたので、この面で日本の政治全体に大いにプラスになったのではない か、と思う。

私の専門であるソ連史の主役の一人であるレーニンは、聴衆をひきつける演説の名手であった。今日まで40数年キューバ首相をつとめるカストロの演説も長いが、すこしも飽きられず、いつも民衆の圧倒的な共感と支持をえているようである。一例を挙げよう。

「ケネディの演説はヒトラーの演説のようだ。ヒトラーは近隣の小国を脅かしたが、ケネディはキューバを脅かし介入すると言っている。彼は そろそろ忍耐の限界だと言う。では、あらゆることに耐えてこなければならなかったわれわれの忍耐についてはどうか。帝国主義列強は奇襲攻撃という方法を用 いている。ヒトラーやムッソリーニと同じ方法だ。われわれは何としても、列強に物事を考えなおしてほしいのだ。人類に、そして歴史にも、時代遅れとなった システムを終わらせよう。封建制度がそうだったように、奴隷制度がそうだったように、帝国主義は、過ぎ去らなければならない。」

これは数十年前の演説であるが、ケネディをブッシュに代えれば、現在そのままアピールする。

演説と講義はジャンルは違うが、主張が明確であること、筋が通っていることともに、タブーや秘密がないことが、退屈で紋切り型にならないために大切なことは共通であろう。