我が土、我が民(その6)-故郷の大地を俯瞰する(その2)

王 元

寨と圩

もとは防護用の木の柵を指したが、基本的には「砦」です。故郷では「寨圩」または「圩寨」とも言います。臨渙城内にはさらに「西小圩子」という寨があ り、臨渙小学校も「北寨門」の付近にある。「圩」と「寨」を区別しない傾向は、おそらく、圩と寨を合体させたことからなる現象でしょう。つまり、洪水を防 ぐための「圩」の上に防衛のための木の柵を設置し、「寨」になることで一石二鳥の効果を得るのです。

圩の建造と維持は大変な労力と財力がかかるものです。そのため、出来るだけ規模を小さく抑える必要があり、家屋、倉庫等、最重要な財産を圩内に納め、場 (穀物の乾燥や脱穀に使うところ「穀場」ともいう)、牛舎、猪圏(家畜小屋)等は圩外に置かれることになります。したがって、「圩」は通常、村の中央に位 置しています。圩の周辺は小作人等の家屋があります。

また、ほとんどの「寨圩」は人口が少なく、村に当たります。ただ、最近の半世紀あまりは黄河、淮河それから澮河が皆、氾濫しなくなり、圩(堤)は重視されなくなってきました。平和な時期は当然「砦」も必要ではなくなります。

臨渙天主堂神甫楼
臨渙天主堂神甫楼。1949年当時の宿西県県政府の所在地でもある。

坊と園

坊は「作坊」、旧式の小規模の工場です。臨渙の名物の一つ、胡麻油はこのような作坊で生産されます。手工制作が基本で「小磨麻油」と呼ばれています。こ れらの作坊は主に城内に集中しますが、家庭作坊の形で周辺の村にも点在しています。中には「園」とよぶものもあります。例えば、「醬(菜)園」。これは味 噌、漬物、醤油、お酢等を作る作坊です。「坊」との違いは単に作業場でけではなく、物干しの庭園が付く為、「園」とよぶようになりました。

園、単一作物、特に果実類を生産する農園です。この地域に黄河が運んで来た淤土(堆積土壌、例えば、黄土や砂土等)は瓜(西瓜、メロン)、果(桃、李、杏、柿、棗、梨、林檎)の栽培に適しています。

楼と閣

「楼」とは、多重層建ての建築物を指すものですが、我が故郷の場合は基本的には二階建ての家屋、所謂「土楼」になる。故郷の地名に「楼」が多くあります が、その地は現在でもその楼を確認できるようなものはなく、昔ある時期に存在したもので、後に地名となり、残ったのかもしれません。

長い間、故郷の「楼」といえば、天主堂(天主教の教会)神甫楼でした。これは3階建ての煉瓦構造の建築は最近まで故郷での最高峰の建築でした。少年時代の遊び場でもあり、記憶の中での大きな建物なのに、今は…これなのです。

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左隣は新しく建てられた教会です。最新で最も高い建築となりました。臨渙での「教(会)」の復権を示すものと見ていいでしょう。

「閣」とは一般的「楼」の上半の部分を指します。但し、物見やぐらではなく、日本で言う「蔵」、つまり貯蔵庫です。但し、今の臨渙で地名に用いられる「閣」は特に木造寺廟建築を指します。

小学生の時、よく今は無き「南閣」という臨渙随一の名所に行きます。臨渙集最南端高台に置き、?河に面して、煉瓦構造、臨渙城の南門として建てられてい て、漢、唐、宋、明歴代の時に改築され、1975年最後に壊されたのは清代のもの。?河を臨み見る高い台地にたてられて、見当たり、風あたりの良い所でし た。