60周年の広島に思う ―母の足跡(2)

近藤 泉

◆かろうじて歩ける状態の駅前大橋を渡った母は、目の前に広がる街の惨状に足がすくみます。倒れた家の下敷きになった人々を助けることができず走り続けます。今も小さな旅館が数件並ぶ京橋町のこの辺りも母が通ったような気がしました。

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僅かな火の手を見つけ、全市に燃え広がると直感した母は、川へ向かいます。

(母の体験記より) 潰された家の端から僅(わず)かに炎が紅い舌を出しているのを見た。頭を突きぬけるような恐怖が身体中を走った。夢中になって彼を呼んだ私は、炎を指さして、 「川に逃げましょう。」 恐怖で声が上づっていた。 (中略) 「火事だ、川に逃げよう。」 大きく頷(うなづ)いた彼は、右に道を折れ、川に行く道を急いだ。

駅前大橋から市内を南下していた母は、右に道を折れいったん川べりに逃げたあと相生橋に向かって再び歩き続けます。相生橋は稲荷大橋を右に渡ってまっすぐ先なので、母が逃げた川べりというのは上柳橋か京橋から稲荷大橋までの京橋川沿いのどこかだと考えられます。今市内の川はみな高い石垣の堀になっていますが、母の記述によると当時は草の生い茂る土手だったようです。

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京橋

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京橋から稲荷大橋を望む

かなり川幅のある対岸に天にも届きそうな火柱が現れ、こちらへ倒れてきて人々の阿鼻叫喚が始まった、と母は書いています。現在この川沿いの道は「平和の道」と名付けられ、木陰の涼やかな静かな散策路になり、川の流れはどこまでも穏やかでしたが、必死に生きようとした母の存在が感じられて仕方 がありませんでした。