60周年の広島に思う ―母の足跡(3)

近藤 泉

◆川べりで猛火を逃れたかに思えた母は、このあと地獄絵図を見ます。

対岸の天にも達するかのような火柱、目を覆う被爆の傷、自分の命を守ることだけに必死な兵隊、黒い雨、溺れ行く人々、そして母自身も水の底に沈み、青年に助けられます。

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稲荷大橋から相生橋方向を望む

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母は青年とともに稲荷大橋を西に渡り、1.5キロ程直進し相生橋と思しき橋まで辿りつきます。相生橋は原爆投下目標とされ、原爆ドームのすぐ前、爆心地付近です。母はまさに爆心地に向かって歩き続けていたのです。

母は青年から橋のたもとで待つように言われ別れますが、待ち切れず一人四日市の救護所に向かうトラックに乗り込みます。救護所となった小学校で二夜を過ごした母は、瀕死の状態で列車に乗り佐世保の疎開先へ帰り着きます。

今回、私が母の足跡を辿り実際に歩くことができたのは稲荷大橋までです。

母の書き残した体験記には、地図の上で少し不一致がありそうな気がします。しかし、母は見知らぬ土地で体を貫き通す原爆を被曝し激しい精神的ショックの中、命がけで壊滅した街を逃げ惑ったのに、よくここまで書きぬくことができたと改めて感じ入りました。

◆8月6日の暑い陽に照らされた京橋川の水面を見つめていると、戦争の悲惨さを訴え続けた母の深い深い悲しみが未だに広島の水底に沈んでいるような心持ちにとらわれました。そして、誰よりも平和を愛した母の暖かい胸のぬくもりが蘇って来ました。