「いかに生きるか」という学問分野

わたなべ ひろし

大学を出て働くようになってから、ずっと考えてきたことがある。それは、大学という「お勉強」ができる環境を卒業して、これから自分は何をどうやって学んでいけばよいのだろうかということである。

最高学府である大学に長年在籍しながら、何をどうやって学べばよいのであろうかというのもみっともない話しではあるのだが、しかし事実なのだからしょう がない。大学では日本社会論をテーマとしていたので、研究対象への「留学」のつもりで実社会に出るのだと強がってみても、実際のところ何をどう勉強すれば よいのかさっぱりわからなかった。

英文学者の中野好夫さんが、自身の大学教師生活について語った文章の中で、次のように述べている。

「最初から私は大学教授になれるような勉強の仕方をしなかった。不勉強だとは申さぬが、それは好きなもの、というよりは、なんらかの意味でいかに生きるかという私自身の関心に切実な題目だけを、全くわが儘勝手に勉強した。」

これから何をどのように学べばよいのか僕は今でも分かってはいないのだが、中野さんのこの文章を読んだとき引っ掛かるものがあった。「あぁ、中野さんもやっぱりそうなのか」という具合にである。

それは「いかに生きるかという私自身の関心に切実な題目だけを」のところだ。なんというか、こういうふうに僕も「勉強」すればよいのかもしれないと、なんとなく行き先が見えた感じがしたのである。

これを仮に「いかに生きるか」という学問分野とでも名づけておこう。僕にとっては、反戦平和の問題も、戦後日本社会をいかに捉えるべきかという問題も、全てこの「いかに生きるか」という学問分野に含まれるものなのである。(そうは言っても、中野好夫という人の学問は、名訳の誉れ高いギボンの『ローマ帝国衰亡史』を始めとする数多くの翻訳があり、17~18世紀の風刺家にして『ガリヴァー旅行記』の作者であるジョナサン・スウィフトの研究があり、それこそ学術研究の面で多くの成果を残している。彼の「わが儘勝手」の勉強は、そういうものをしっかりと生み出しているのであり、僕のようなチンピラとは次元がことなるのではあるが。)

近年は、世界的なレベルで見て日本人の学力レベルが落ちているとか言われているが、例えばさまざまな私的サークルの数の多さ、多種多様な セミナーや講演会の実施、小説家や評論家といった文章や言葉を生業とする専門家の人数の多さ、書籍の発行部数等々、僕は日本人というのは「お勉強」や「学 習」の好きな国民だと思っている。そしてそれ等の「お勉強」や「学習」を通して人々が学びたいと思っていることは、学術研究的なものやノウハウ的なものよ りも、「いかに生きるか」ということなのではないだろうか。

この夏、『週刊金曜日』誌上に5回にわたって連載された、作家の辺見庸さんの「いま、『永遠の不服従』とは何か」という文章は、「いかに生きるか」という学問分野における僕にとっての収穫であった。

辺見さんは昨年の3月、新潟での講演中に脳出血で倒れ、不自由になった身体(それがどの程度のものであるのかは、もちろん分からないが)をおしての、病床 からの文章であった。辺見さんは元共同通信の記者であり、そのうえ芥川賞を受賞した優れた小説家でもある。僕は以前から辺見さんのファンで、彼の言語感覚 によって造形された世界は迫力があり、こちら側に「これを見ろ」と言わんばかりにグイッと突きつけるなにものかがあった。ただ最近(つまり病気で倒れる以 前)は、少し無理をしているというか、辺見さんの想念の深淵にまで彼の言葉が届ききれず、上っ面の方で折り合いをつけてしまっている感じがしていた。

しかし今回連載された文章は、1年数ヶ月の不自由な病床の中で、虚飾や衒い(てらい)を排せざるをえなかった彼が、それでも今の自分に残っているものだけを手がかりに、自分という存在の岩盤にたどり着く到達感が感じられるような、まことに「凄い」ものであった。

「脳がやられるというのはけだし不可思議です。……(電話番号やメールアドレスといった)社会生活上必要とみなされている記憶が消滅し、逆に(映画のセリ フや場面といった)社会的にどうでもいいような記憶が生き残ること。記憶と想念における無用と有用。これらを随分考えました。結論はありません。」

辺見さんの文章を読むことで、「いかに生きるか」という学問分野の特徴は「問いはあるが答えは無い」ということなのではないかと気づかされた。