戦争と市民の力

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投稿者:佐藤 智子

戦争とは、生身の人間が意味もなく殺されること。私の単純な定義です。

どんな新型爆弾が開発されようと、軍事技術がどれほど精密化しようと、使えば人が死ぬでしょう。一人も死なせず戦争ができるでしょうか。

イラク戦争が始まって10日が過ぎました。イラクの民間人にも米兵にも毎日のように死者が出ています。3月24日、パウエル国務長官はFOXテレビに出 演して、「今のところ犠牲者は大した数ではない」と語ったようですが、「大した数」と「大したことではない数」の線引きはどこでするのでしょうか。米兵に 死者が出て、ブッシュ大統領はショックを受けたという報道もありました。自分で戦争を吹っかけておいて、事前にそんなことすら思い巡らさなかったのでしょ うか。なんと乏しい想像力かと思います。

テレビに流れる映像で戦争を実感するのは難しい。でも、もし、ミサイルが投下されるその地に自分がいるとしたらどうでしょうか。そんな危険にさらされる恐怖を少しでも想像してみたら、許せるでしょうか。耐えられるでしょうか。

今年に入って、反戦運動がかつてなく世界的に広がりました。国連査察団は査察の継続を要望していましたし、国連安全保障理事会も武力行使は容認できない という方向に傾いていました。世界的にみて、戦争は阻止すべきだという声が、細い渓流から少しずつ水かさを増しているように見えました。もしかしたら、こ の戦争はなんとか回避されるかもしれないと、私はひそかに期待していました。淡い期待だったようですが。

なぜ、ブッシュ大統領の暴走を止められなかったのでしょうか。この戦争で私がいちばん考えていることです。その問いかけは、政治家でも外交官でもない者が戦争を阻止するために何ができるか、何をすべきかという答えにつながると思うからです。

ブラジルの作家、パウロ・コエーリョさんが「ありがとう、ブッシュ大統領」というメッセージを世界の主要メディアに寄せています。一部を抜粋しますと、こんな内容です(原文ポルトガル語、訳:旦敬介、『朝日新聞』3月19日夕刊)。

「ありがとう、今世紀、ほとんど誰にもなしえなかったことを実現してくれて——世界のすべての大陸で、同じひとつの思いのために闘っている何百万人もの人を結びあわせてくれて。その思いというのは、あなたの思いとは正反対のものであるのだが」

「ありがとう、すでに起動してしまっている歯車をなんとか止めようとして街路を練り歩く名もなき軍勢である私たちに、無力感とはどんなものかを味わわせてくれて。その無力感といかにして戦い、いかにしてそれを別のものに変えていけばいいのか、学ぶ機会をあたえてくれて」

反戦運動は弱まることなく今も続いています。日本でも各地で即時停戦を求める声があがっています。たとえば、WORLD PEACE NOWのホームページを見ますと、さまざまな参加の形態があることがわかります。人々を動員して、一つにまとめて抗議行動を起こすといった運動ではありません。ピースウォークに参加したいと思えば、一人でも友だちとでも参加でき、大きな声を出 すもよし、静かに歩いてもよし、音楽を奏でてもよし。反戦映画上映会のお知らせもあれば、高校生の活動も紹介されています。

また、国連には「平和のための結集」と題する決議があります。これは、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為」に直面した安保理が常任理事国の全 会一致の合意が得られない場合、総会を緊急に招集できるよう規定したもので、この決議の発動を日本の国連大使にネット上で要請することもできます。

一人ひとりの行動は一見ばらばらで、それで力になるのかと疑問視する向きもあるでしょうが、お仕着せでないから、個人が自分の意思で参加するから力にな りうるのではないでしょうか。たとえ、まだ力不足だとしても。無力感に陥らず、私は市民の力を信じたい。そして、そういう市民の一人でありたいと思ってい ます。